9月29日、憲法審査会の海外調査より帰国いたしました。3カ国目に訪問したリトアニアは、帝政ロシア、ナチス・ドイツ、ソ連の間で翻弄され、長い間自由と主権を奪われてきた国です。(2019年09月29日)

 

20190929_img19月29日、ただ今帰国いたしました。
憲法審査会の海外調査、3カ国目はリトアニアです。

ウクライナのキエフから首都のビリニュスまでは1時間20分ほどのフライトで到着。

人口279万人(広島県と同程度)、面積は北海道より一回り小さく、エストニア、ラトビアと共にバルト三国と呼ばれる、旧ソ連から独立し民主化を進めている国です。

20190929_img2リトアニアの歴史は、ロシアとドイツとの間で翻弄される苦闘の歴史です。

13世紀にはリトアニア大公国が勢力を拡大し、現在のベラルーシ、ウクライナ、ポーランド、及びロシアに至るバルト海から黒海までの広大な領土を支配するヨーロッパ最大の国であったこともあります。

20190929_img3しかしその後は、ポーランド、ロシア、プロイセン(後のドイツ)の支配を受け、第一次世界大戦後、一時的にロシアとドイツの影響力が弱まった1918年には独立を宣言します。

20190929_img4ところが第二次世界大戦期に、まずロシア(ソ連)の侵攻を受け、その撤退後のナチスドイツの侵攻とその支配下での圧政と、ユダヤ人大虐殺(約20万人)という悲劇に見舞われます。

20190929_img5この時に活躍したのが「杉原 千畝ちうね」在カナウス(リトアニア第二の都市)領事館副領事(1939年7月〜1940年8月)です。

20190929_img6ナチス・ドイツが迫害したユダヤ人に対し、本国の支持に反して2100枚もの日本通過ビザを発給し、約6000人の命を救った「正義の人」として、今でもリトアニア人、ユダヤ人から絶大な感謝と尊敬を受けています。

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そしてドイツ敗退後は再度ソ連の侵攻とそれに対する抵抗(ソ連に対する武装レジスタンスが激化。ソ連の徹底的な弾圧により成人リトアニア男性の1/2にあたる45万6000人もの人々がシベリアへ追放。約2万6500人がリトアニア国内で殺害。)という悲惨な歴史を経験し、ソ連邦の一部を構成する共和国となります。

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リトアニアが再び独立を宣言したのはソ連の崩壊直前の1990年3月、ソ連邦の共和国の中で最初の独立国となりました。そして1991年8月のソ連共産党・政府保守派のクーデター失敗後、リトアニアはソ連邦から完全な独立を果たし、ついに50年に及ぶ苦しい支配から自由を獲得します。

その後はヨーロッパ諸国との結びつきを強め、2004にEU 及びNATO に加盟しました。

リトアニア憲法は「欧州に生きる」強い政治意志を示し、こうした民族の自立と自由を求める苦闘の中で「民主国家」建設の基礎となっているのです。

1992年の憲法改正以来、10回の憲法改正が行われていますが、まさに「憲法の安定性の向上を以って、国家の安定につなげる」努力と言えます。

20190929_img12リトアニア滞在中に会談した国会議長や憲法裁判所長官、中央選挙管理委員会委員長等との意見交換において、私からは、リトアニアが自由と民主主義、人権、法の下での平等という普遍的価値を持った国を建設する努力に敬意を表し、日本の国会としてもしっかりと支援していきたい旨を申し上げました。

また、隣国ウクライナでのロシアのクリミア併合など、一国の領土の一体性を破壊する力による現状変更は絶対に認められず、日本としてもこれに対抗する国際社会への主張と貢献を続けていくことを表明しました。

ウクライナが崩れれば、次はバルト三国に影響が及ぶことは歴史が証明しています。

20190929_img13面談した国会議員の中には、母親がユダヤ人で、ナチスドイツ時代に国外脱出ビザの発給が受けられず、ビリニュスのユダヤ人ゲットーに強制収用され、九死に一生を得た方の息子さんがおられました。

ソ連のKGBによるリトアニア人迫害施設跡の博物館(拷問や拘束、処刑など見るに堪えない残虐なものでした)や、1989年8月のソ連によるバルト併合の違法性を抗議して、ビリニュスからタリンまでの600キロを200万人が手をつなぐ「人間の鎖」が開始された広場や、国会の隣に今も保存されているソ連の侵攻に抵抗するための巨大なコンクリート壁のバリケードなどを確認しました。

自由な民主国家を建設し維持するためにどれだけの努力が必要なのか、リトアニアの生々しい足跡の一端を垣間見る中で、政治に携わる者として「自由と平和の大切さ」を強く再認識した次第です。

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ウクライナに続いてリトアニアを訪問し、改めてこれらの国々からの期待に応える日本の戦略的外交展開の必要性を実感しました。