


3月23日、硫黄島に行き、戦後74年を記念した日米戦没者合同慰霊追悼顕彰式典を行いました。

主催は日米双方にある硫黄島協会という民間団体であり、政府が行う行事ではありません。私は日本側遺族代表として、英霊の皆さまに尊崇の念を込めご挨拶しました。
超党派の国会議員でつくる「硫黄島問題懇話会」の同志と共に、根本厚生労働大臣、阿部外務・原田防衛副大臣の参加も得て、羽田空港から政府チャーター便で渡島しました。
日米合同慰霊祭は、今日の強固な日米関係の基礎となる友情と信頼の象徴と言われています。かつて激しく戦った者同士があい集い合同で互いを讃え、戦友の追悼慰霊式典を継続しているのは、世界中でただ一ヶ所、硫黄島のみです。

しかし、合同慰霊祭が初めて開催されるまでには、戦後40年もの時が必要だったことを知る必要があります。第1回目は1985年2月、私も母と共に参加しましたが、日米両国の参加者の笑顔はぎこちなく、どのように接するべきか互いに逡巡しながらの行事であったことを今でも覚えています。

戦後も長い時間が過ぎ、関係者の高齢化が進んでいますが、子供から孫へ、そのまた次の世代へと引き継いでいけば良いことであり、自分たちの後に続く人たちがいることを確信しています。日米合同慰霊祭は絶えることなく続けていかなければならないのです。

硫黄島で戦った日本の人々の想いは「大切なものを守るため」ということでした。それは米国の人々の想いとも同じだったのです。同じ想いを持った人同士が何故戦わなくてはいけなかったのか。二度と悲しい戦争を引き起こしてはいけないのです。
硫黄島で戦った日米の兵士たちが、どれほどの苦しく激しい戦いに勇気と使命感を持って臨んだのか、それを後世に伝え続けることが平和の誓いを持つことにつながります。それこそが硫黄島で戦った勇者達の魂に報いることだ、と考えています。


特に自衛隊基地飛行場の滑走路下は1945年以来一度も掘削されておらず、政府は滑走路周辺地区の遺骨収集事業をいよいよ実施する為に準備を重ねています。
こうした状況の中で、地表からではわからない未探索の地下壕とご遺骨を発見する為に開発されたのが、地下15m以上を探索できる新型レーダー探査機です。従来から使用していた10m探索機能を拡充した機器が投入されることで、新たな発見があることを期待しています。
現在の平和と豊かな暮らしが、英霊の皆様の尊い犠牲の上に成り立っていることを心に刻み、
これからも硫黄島における戦没者顕彰追悼慰霊とご遺骨の収容帰還事業を続けて参ります。