11月29日、イラク中部のティクリート付近で、イラク北部支援会議に向かっていた奥克彦大使と井ノ上正盛1等書記官が、銃撃により亡くなられました。
イラク復興のため一緒にたたかってきた仲間が、はからずも失われたことに激しく憤りを覚えるとともに、お二人の無念を思うと悔やまれてなりません。
奥大使は私と同年齢であり、中東担当政務官の私は帰国のたびにイラク情勢の報告を受けたり、川口大臣とともに対策会議に臨んだものでした。
スポーツマンらしく、さわやかでガッツのある良い男でした。
今年4月からイラクに長期出張をし、人道支援・復興支援についてCPA(連合暫定施政当局)と日本政府との連絡調整に中心的役割を担っている方でした。
思い出深いのは、2003年6月、仙台で川口外務大臣のタウンミーティングが開催されたときのこと。私はちょうどその時、政務官として私が最も力を注いで
いた仕事のひとつであるロシア退役原潜解体事業の第1号実施の目処がつき、記念式典に参加するためウラジオストク訪れていました。そして、訪問先からテレ
ビ電話で仙台のタウンミーティングに参加。時を同じくして、バグダッドにいる奥大使からも中継がなされ、これからの日本外交のあり方や国際貢献について、
日本?ロシア?イラクを結んで話し合ったものでした。
また、昨年6月からイラクの日本大使館に勤務していた井ノ上書記官は、アラビア語に堪能で現地の事情にも詳しく、当初からCPAに派遣されておりました。
私が今年6月後半に、政府調査団の一員としてイラクへ視察に赴いた際に、現地の案内やブレマーCPA長官、ソーヤーズ大使との会談の手配をしてくれたり、
通訳として大活躍してくれました。
お二人ともイラクの過酷な環境の下で、明るく、意欲的に仕事をされていました。
ご冥福を心からお祈りするとともに、尊い犠牲を無にしないためにも、お二人の意志を継ぎ、卑劣な行為に屈することなく、私たちはイラク復興に向けて全力で外交努力を続けていかなくてはなりません。