9月8日(水)11:00(現地時間14:00)より、遠洋練習航海中の海上自衛隊艦艇が アッツ島に接近し、アッツ島・キスカ島近海における戦没者追悼行事(黙とう、ラッパの演奏、海への献花、弔銃発射)が実施されました。
戦後初となる海自艦艇による洋上慰霊は、遠洋練習航海の計画を知った私が防衛省と外務省に実施の働きかけを行い、日米当局間の調整と理解により実現したものです。
私は縁あって、アッツ島戦没者遺族会との交流があり、アッツ島のご遺骨の収容と帰還事業の実現をお手伝いしています。
2020年3月にはアラスカの米陸軍工兵隊部隊を訪問し、現地部隊の司令官に遺骨収容事業の実現に向け協力を直接依頼して参りました。
アリューシャン列島に位置するアッツ島は、1943年(昭和18年)日本軍守備隊と上陸したアメリカ軍が交戦した激戦の地です。
アッツ島の日本側戦没者はほぼ全員の約2600人ですが、ご遺骨の収容は1953年に米軍の協力を得て実施して以来行われておらず、その後は、2007年と2008年に米軍の協力を得て調査を実施したのみです。帰還したご遺骨は320柱のみで、残る約2280柱は未だ島に眠るままとなっているのです。
アッツ島は現在無人島で、環境保護区となっているため、島への上陸そのものが困難な状態です。
加えて、アラスカよりも遥か遠く離れたアリューシャン列島の先端に位置する島に訪れる手段もなく、戦後これまでに実施できた慰霊巡拝は、洋上や機上から僅か6回のみという残念な状態です。
私は、2020年2月末、ワシントンDCで行われた米国硫黄島協会主催のガラ・バンケットに招待された機会を利用し、3月3日、アラスカを訪問しました。
目的の1つは、アラスカ州フェアバンクスにあるアラスカ大学や日本の極地研究所が運営する我が国の北極政策の研究拠点を訪問し関係者との協議を行うことでした。
もう一つはアッツ島関係事業支援であり、アラスカ州アンカレジの「フォート・リチャードソン国立墓地」にあるアッツ島戦没者慰霊碑に追悼参拝し、現地の関係者と共に献花をさせていただきました。
併せて、米陸軍工兵隊のアラスカ地区部隊長であるボーダーズ大佐をはじめ北米航空宇宙防衛コマンド(NOARD)のアラスカ地域司令部司令官、アラスカ軍司令官、太平洋空軍の第11空軍司令官を兼務されているブーシエ・アラスカ軍司令官と面談し、アッツ島の遺骨収容帰還事業の困難を説明し、実現に向けた米軍の理解と協力を強く申し入れて参りました。
アッツ島の戦い以来78年が経過し、未だに故郷に還れないまま眠り続けている英霊の皆さまに想いを馳せ、自衛隊が戦没者の追悼を行ってくれたことをご報告させていただくと共に、アッツ島戦没者の皆様に尊崇の念を込め哀悼の誠を捧げたいと存じます。