10月24日、戦後75周年となる硫黄島にて「日米硫黄島戦没者・合同慰霊追悼顕彰式」を行いました。(2020年10月24日)

 

10月24日、戦後75周年となる硫黄島にて「日米硫黄島戦没者・合同慰霊追悼顕彰式」を行いました。

新型コロナウイルスの影響で見送った3月の代替措置として、日米関係者による少人数の代表慰霊となりましたが、好天に恵まれ無事に式典を挙行することができました。


かつて戦いを交えた者同士が集い、合同で慰霊追悼を続けているのは世界でただ一か所、硫黄島のみです。


本年は75年の節目の年でありながら、開催が危ぶまれておりましたが、外務省・防衛省など政府の強力な支援を得て、日米双方の硫黄島協会関係者が協議を重ね、なんとか実施することができました。


戦後40周年を契機に始まった合同式典は今回で22回目となり、運営に携わってきた私も、英霊や先人への責任を果たすことができ安堵すると共に、ご尽力いただいた皆さまに感謝の想いで一杯です。


今回の式典では戦後75年目にして初めて、日米双方の式典参加者による集合写真を撮りました。これはあらかじめ予定していたことではなく、島に来ることができなかった米国の友人たち、日本全国の遺族の方々に式典の様子を届けたいと、式典の最中に私が考えつき、急遽米国側に申し入れた突発・異例な出来事だったのです。


日米集合写真を撮ったことはこれまで一度もありませんでした。どちらからも提案した事もなく、言い出せる雰囲気でもなかったともいえます。


日米の硫黄島戦関係者が戦闘終了後、島で再会するまでに40年、その後22回の合同慰霊祭を経て、一緒に写真を撮るまでに75年かかっている歳月の重みを、改めて感慨深く受け止めております。


こうした硫黄島における合同慰霊祭の取り組みは、戦後の日米両国の和解と信頼の象徴として位置付けられております。


私たちは、祖国のため、愛する大切な人のために戦った先人に哀悼の誠を捧げるとともに、現在の平和と繁栄が尊い犠牲の上に成り立っていることを心に刻み、次の世代に伝えていかなければならないと考えています。

硫黄島の日本側戦没者の遺骨収容は未だ5割に届かず、1万1千人余りの方々が時間の止まった南の島で眠られております。


私は、硫黄島協会、国会の超党派議員により構成される硫黄島問題懇話会の同志の皆さんと力を合わせ、英霊の追悼・顕彰を行うとともに、最後のお一人が故郷にお還りいただくまで、ご遺骨の収容帰還事業を続けていく覚悟です。


日米合同式典の後は、天山慰霊碑において日本側の戦没者追悼式典を行い、その後に遺骨収集現場や兵団司令部壕、集団埋葬地、摺鉢山慰霊碑など島内各所を慰霊巡拝し、帰路につきました。


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