第108号 汗を流して得た日韓交流 ~日韓国会議員サッカー大会に参加して~



 通常国会が16日事実上閉幕し、そして翌17日の午前8時、私は韓国に向けて発ちました。日韓の交流を深める国会議員親善サッカー大会に参加するためです。
 この大会も今回で7回目を迎えます。ワールドカップドイツ大会の日本は残念な結果に終わってしまいましたが、日本代表の健闘に賞賛を送ります。スポーツを通じた国際交流。規模や形は違えども、こちらも自ずと気合いが入ります。


◆ 日韓W杯共催の成功を経て

 羽田空港から2時間強。ソウルに着いたのは10時過ぎです。超党派ながら志を同じくした18名の議員とともに、バスで3時間揺られながら、全州(チョン
ジュ)にあるサッカースタジアムを目指します。全州はソウルから南に約230km。三国時代には百済の首都として栄え、また韓国料理としてお馴染みのビビ
ンバを生んだ、千年を超える歴史と食文化の街として知られている人口約60万の都市です。
 試合をするのは、2002年に日韓共催のワールドカップが行われた競技場です。当時、何としてもW杯を成功させようと願って日韓それぞれに議員連盟が発足し、以来、体を触れあい共に汗を流しての、会議に勝る親善外交を続けてきたのです。
 現在の日韓の政治情勢は、靖国問題や竹島問題でギクシャクしています。そんなモヤモヤを吹き飛ばすことができるのか。日本代表と同じブルーのユニフォームに身を包み、いざ、試合に突入です。


◆ さて試合の顛末は...

 この全州の競技場は収容規模4万席以上の大スタジアムです。しかし、ここに着いたのが午後3時50分。そして4時から開会式です。くたくたに疲れた中年
の国会議員の面々は、ろくに準備運動もできない状態で試合に臨む羽目になりました。前回の試合では私も張り切りすぎて左膝の靱帯を伸ばしてしまい、今回は
「とにかく皆ケガだけはしないように」と言っていたのですが、キックオフの笛が鳴った途端、そんな気持ちは一変して、気温30℃にもなるフィールドを駆け
回っていました。
 試合開始早々に日本がリードしたものの、韓国の反撃を受け結果は2対3で残念ながら敗れてしまいましたが、メンバー不足のためフル出場した私は、「守備賞」のトロフィーをいただきました。
 試合終了後にはお互いの健闘をたたえユニフォームを交換。スポーツを通じた交流は、現在の日韓情勢をみじんも感じさせず、笑顔と友情に満ちていました。


◆ 試合後には議員外交が

 試合が終わると本格的な議員外交の始まりです。夜の歓迎レセプションでは、すっかり仲良くなった両国議員が円卓に交互に座り、フランクに意見交換をいた
しました。翌朝7時からは駐韓日本国大使主催の朝食会、昼には韓国サッカー議連会長が昼食会を催してくれ、様々な情報交換が行われました。
 韓国側には現在の国会・国防委員長を務める議員もおり、北朝鮮を訪問した際のピョンヤンの様子や、日本や米国に対する北朝鮮側の考え方、更には、金正日総書記の動向等貴重な情報を得ることができました。


◆キム・ヨンサム元大統領との会談

 翌18日午後には、ソウル市内で議連会長の衛藤先生と共に、キム・ヨンサム元大統領と面談しました。
 今月12・13両日にわたって行われた、6年ぶりの日韓間の排他的経済水域(EEZ)境界画定交渉は、その議論がかみ合わないまま終了してしまいました。浮き彫りになったのは、竹島をめぐる対決の構図です。
 キム・ヨンサム元大統領は、1996年に当時の橋本首相との会談で竹島領有権問題をEEZ確定と分離する方針を決め、日韓の友好関係を深めていこうと提言した人物であり、私はその方針を打ち立てたことを現在も高く評価していると伝えました。
 今年4月に竹島周辺の海底地形調査をめぐって日韓の緊張が高まりをみせ、ノ・ムヒョン大統領は自身の支持率低下と国内の不満を国外に逸らすため、竹島問
題を焦点とする日本バッシングを始めました。今やその外交政策により国際社会でも韓国は孤立を深めつつあり、キム・ヨンサム元大統領もそのことを憂慮して
いるとお話しされておりました。
 私からは、日本の韓流ブーム、韓国のニッポンフィールを例に挙げ、日本と韓国の国民レベルでの相互理解と交流をより深めていくことを強く訴えました。

 僅か1泊2日の強行日程ではありましたが、得られたものは非常に大きかったと思います。こうした草の根の議員外交をこれからも続けていき、「日本と韓国が本当に近くて近い国になる」ための友好関係構築の一助としていきたいと思います。

新 藤 義 孝