第83・84号 「縁を活かす」


◆ 縁と政治と

 様々な世代の、様々な分野の、実に多くの人とめぐり会えること。政治家になってよかったと感じることのひとつです。
 市役所勤めをしていた私を、「政治の道」へと推して下さった方たち-当時の若い私に、多くの方々が勇気を与えてくれました。市議会議員から、思いもかけ
ず衆議院へと挑戦することになったときも。そして、一昨年に議席を失ったときも。様々な場面で沢山の人と出会い、ご縁をいただき、お世話になってきまし
た。そうした縁を大切に、必ず皆様にご恩返しをする。それが私の政治を志す根本です。
 長い人生の中には、一生を左右するような出会いもあります。今回、ある雑誌で素晴らしい話を拝見しましたので、ここにご紹介させていただきたいと思います。

◆ 「縁を生かす」

 その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
 ある時、少年の一年生からの記録が目に止まった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
 二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠り
する」。後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力
をふるう」。
 先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。
 放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?わからないところは教えてあげるから」。少年は初めて笑顔を見せた。
 それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。
 クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違
いない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫ん
だ。「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」
 六年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」
 それから六年。またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学
部に進学することができます」。十年を経て、またカードがきた。そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みがわかる医
者になれると記され、こう締めくくられていた。「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様
のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生の時に担任してくださった先生です」
 そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座ってください」と、一行、書き添えられていた。

 本誌連載にご登場の鈴木秀子先生に教わった話である。
 たった一年間の担任の先生との縁。その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、それからの人生を生きた。ここにこの少年の素晴らしさがある。
 人は誰でも無数の縁の中に生きている。無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。
月刊「致知」2005年12月号(致知出版社刊)より )

 ある会社の社長がこの雑誌を購読していて、あまりに良い話だったので、朝のミーティングで社員に紹介しました。その中に私の仲間がいて、それを私に教えてくれました。
 受け取った私は、ぜひ皆様にもご紹介したいと思い、出版社に許可を得て、お届けさせていただきました。
 人生とは正に、人との出会いの積み重ねなのだと感じさせられます。
 多くの皆様とのご縁に支えられているこの「週刊新藤」も、これで今年最後の号となります。本年は大変お世話になりました。また来年もよろしくお願いいたします。

新 藤 義 孝