第27号 顔の見える国際貢献 〜東ティモール現地視察編


メラルドグリーンの海に浮かぶ美しい島国・東ティモール。1999年8月、インドネシアからの独立をめぐる対立の激化に国連多国籍軍が展開し、治安の回復
を図ると共に、日本の自衛隊もPKO活動に参加しました。2002年5月には独立を果たし、新しい国づくりが進められている東ティモールで、日本がどんな
役割を果たしているのか、私が撮った写真を中心に皆さんにご紹介させていただきます。

東ティモール独立の戦士シャナナ・グスマン大統領と会談。右側は旭・日本国大使。

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年にわたるポルトガルの植民地支配の後、1975年以降インドネシアの武力による支配を受けてきた東ティモール。住民投票に伴う破壊と暴力に耐え、
2002年5月独立しました。面積は長野県程度、人口約80万。国民の85%が農村に居住、73%が電気の無い暮らしをし、一人当たりGDPが452ド
ル、アジアで最も貧しい国と位置づけられています。

本は、この国の平和構築と経済支援に大きな力を注いでいます。私は今回、一連の日本の支援がティモールの人々にどのように受け入れられているのか、また、
わが国の政府機関や邦人NGOがどのように取り組んでいるのか、自分の目で確かめるため、国会議員時代の仲間(大村議員、下地前議員)と現地を訪れたので
す。
多くの犠牲者が眠るサンタクルス墓地

ディリ:
日本の自衛隊が残していった仮設住宅を使い、JICA(日本国際協力機構)専門家派遣による解体移築の技術指導が行われていた。
グレノ:
現地知事より、雨で半壊した橋の修復の要請を受ける。道路や橋、水道など社会基盤整備への日本ODAの期待は想像以上に大きい。
道路修復予定地:
日本はこれまでに、人材育成・農業・インフラ整備の3分野に重点を置き、復興開発支援など総計1億9千万ドルを行っている。
モデル農場:
邦人NGO・ピースウインズジャパンの日本人スタッフは現地に溶け込んで、農業技術指導・農村開発に精力的に取り組んでいた。
レテフォホ・コーヒー畑:
日本NGOとJICAの協力で、コーヒー農民支援事業が行われている。コーヒーの産業化は東ティモールの未来。
生成技術指導と栽培管理の工夫により、本年は従来より30%以上高い価格でコーヒーが売れた。うわさが広がり来年の契約農家は35世帯から100世帯を超えることに。
レテフォホ・学校:
朝、外国人を見て子供たちが集まってきた。即席で集会を開く。「さて、私は何人でしょう?」子供たち「日本人だよ。」
グレノ病院:
邦人NGO・シェアが医療支援を行っているこの付近唯一の入院施設。この国の平均余命は男性55.6歳、女性59.2歳。マラリアやデング熱など感染症が多い
国連東ティモール支援団(UNMISET):
任務は国づくりの支援を行うこと。代表の長谷川氏は、私の外務政務官時代の仲間。再会を喜ぶ。
日本の支援には、日の丸とともに「From the People of Japan」のマークが活用され、現地の方々の日本への信頼にひと役かっていました。私の乗った車にも貼って、PRしました。首都ディリでの記者会見は、翌日の新聞で大きく取り上げられました。

2004年9月24日付 ティモールポスト 新藤氏「東ティモールの平和と安定を」

9月23日(木)、新藤義孝・前日本国国会議員は、大使館で行われた記者会見で「私どもは、東ティモール独立後、市民によって培われた平穏にして平和な状況や再建の実状をこの目で見て感心した」と語った。
新藤氏は二人の同僚や日本国大使とともに記者会見に臨み、次のように述べた。「日本は、世界平和を築くにあたって、東ティモールの平和な状況を保持するよ
う希望している。東ティモールにとって重要な問題は、平和・経済・教育・医療・インフラ改善である。同じアジアの国として、日本はそれらの部門で良好な状
況が実現するよう協力する用意がある。また、特に関心をもったこととして、レテフォホで東ティモールのコーヒーを味わったが、日本でも東ティモールのコー
ヒーを広めたいと感じた」
シャナナ・グスマン大統領との会見では、旧兵士の孤児や未亡人などの救済についての話題を取り上げた。日本政府は東ティモールへの援助を5年前より現在に至るまで世界に呼びかけている。

首都ディリでの記者会見は、翌日の新聞で大きく取り上げられました。

新 藤 義 孝