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東ティモール独立の戦士シャナナ・グスマン大統領と会談。右側は旭・日本国大使。 |
400 年にわたるポルトガルの植民地支配の後、1975年以降インドネシアの武力による支配を受けてきた東ティモール。住民投票に伴う破壊と暴力に耐え、 2002年5月独立しました。面積は長野県程度、人口約80万。国民の85%が農村に居住、73%が電気の無い暮らしをし、一人当たりGDPが452ド ル、アジアで最も貧しい国と位置づけられています。 |
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日 本は、この国の平和構築と経済支援に大きな力を注いでいます。私は今回、一連の日本の支援がティモールの人々にどのように受け入れられているのか、また、 わが国の政府機関や邦人NGOがどのように取り組んでいるのか、自分の目で確かめるため、国会議員時代の仲間(大村議員、下地前議員)と現地を訪れたので す。 |
多くの犠牲者が眠るサンタクルス墓地 | |
ディリ: 日本の自衛隊が残していった仮設住宅を使い、JICA(日本国際協力機構)専門家派遣による解体移築の技術指導が行われていた。 |
グレノ: 現地知事より、雨で半壊した橋の修復の要請を受ける。道路や橋、水道など社会基盤整備への日本ODAの期待は想像以上に大きい。 |
道路修復予定地: 日本はこれまでに、人材育成・農業・インフラ整備の3分野に重点を置き、復興開発支援など総計1億9千万ドルを行っている。 |
モデル農場: 邦人NGO・ピースウインズジャパンの日本人スタッフは現地に溶け込んで、農業技術指導・農村開発に精力的に取り組んでいた。 |
レテフォホ・コーヒー畑: 日本NGOとJICAの協力で、コーヒー農民支援事業が行われている。コーヒーの産業化は東ティモールの未来。 |
生成技術指導と栽培管理の工夫により、本年は従来より30%以上高い価格でコーヒーが売れた。うわさが広がり来年の契約農家は35世帯から100世帯を超えることに。 |
レテフォホ・学校: 朝、外国人を見て子供たちが集まってきた。即席で集会を開く。「さて、私は何人でしょう?」子供たち「日本人だよ。」 |
グレノ病院: 邦人NGO・シェアが医療支援を行っているこの付近唯一の入院施設。この国の平均余命は男性55.6歳、女性59.2歳。マラリアやデング熱など感染症が多い |
国連東ティモール支援団(UNMISET): 任務は国づくりの支援を行うこと。代表の長谷川氏は、私の外務政務官時代の仲間。再会を喜ぶ。 |
日本の支援には、日の丸とともに「From the People of Japan」のマークが活用され、現地の方々の日本への信頼にひと役かっていました。私の乗った車にも貼って、PRしました。首都ディリでの記者会見は、翌日の新聞で大きく取り上げられました。 |
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首都ディリでの記者会見は、翌日の新聞で大きく取り上げられました。 |
新 藤 義 孝 |