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私
は、政治の道に入る前は、川口市役所に11年間奉職しておりました。私が入庁したのは昭和55年ですが、その翌年就任された永瀬洋治市長の筆頭施策として
掲げられたのが、「文化の香る街づくり」でした。川口駅前の公害資源研究所跡地を国から払い下げを受け、駅周辺の街づくりを一体的に行うプロジェクトが計
画され、そこに街のシンボルとして総合文化センターの建設が決定されました。4年後、私は基本構想から施設計画、さらには経営計画やイベント・PRなど、
建物の管理運営計画を策定することになりました。これは大変重要な仕事だったのですが、市役所内に経験者がおらず、この際若手を登用しようということで、
当時、この駅周辺整備プロジェクトで街づくりを担当していた私に辞令がおりました。私の上司として担当部長がおり、あとは助役・市長という従来の市役所で
は考えられない極めてタイトな組織になりました。大きな責任と権限を与えられ、当時27歳の私が緊張するとともに、大いに張り切ったことは皆様に容易に想
像していただけると思います。
まず私が第一に考えたこと。川口市が150億円もの巨費を投入してつくる施設は、街づくりに貢献するものでなくてはなりません。この施設を単なるまちの公
会堂ではなく、クオリティの高い本格的な「劇場」と位置づけ、首都圏はもとより、全国に文化を発信する拠点にしたいと考えたのです。川口市を知らなくても
リリアに訪れる人を増やすことで、結果として川口の街の認知度を上げるという戦略を立てました。
そして、「名は体を表す」と言われるように、この建物のイメージアップのために、愛称募集を企画しました。川口市で、公共の施設に愛称を付けることも初め
てで、しかも採用された方に賞金(10万円)やペアでハワイ旅行招待などといった特典を付けて愛称を募集することなど前代未聞のことでした。結果として、
全国から3,000件にも及ぶ応募がありました。永瀬洋治市長の意向を伺ったところ、子どもから大人まで親しめて、かつ市にちなんだ名前がよいとのことで
した。
川
口市の花は「鉄砲ユリ(英語で「LILY」リリー)」ですので、そのユリにちなみ、「リリーシティ」、「リリープレイス」といった愛称がたくさん寄せられ
ました。しかし、「シティ」では街そのものを指すことになりますし、「プレイス」ではその場所という意味でしか捉えられません。そこで、応用言語学者や広
告デザイナーといった専門家チームと知恵をしぼり、「LILY」にラテン語で空間や集合体を意味する「IA」(イアー)を結合し、「LILIA」(リリ
ア)という名前を編み出しました。つまり、「LILIA(リリア)」とは、「ユリの花の咲いているところ=文化の花の開く場所」という意味なのです。
「IA」は、例えば「イタリア(ITALIA)」、「オーストラリア(AUSTRALIA)」など国名の語尾に使われており、リリアということばは、世界
に通用する、文法にのっとったネーミングなのです。そして、ロゴマークもユリの花を象徴的にデザインいたしました。
私は、5年間このリリアの管理運営担当として開館準備に携わり、平成2年7月7日のオープニングを見届け、8月15日に市役所を退職いたしました。周囲から推され、市議会議員の選挙に挑戦することになったのです。
平
成2年に開館して以来14年、リリアは当初の期待どおり、文化の発信基地として、そして市民文化活動の拠点として、活発な運営がなされています。市が当初
目論んだ川口のイメージアップや来街者を増やすといった戦略は、着々と実を結んでいます。リリア開館後の1年間の川口市への観光客数(行政統計上、まちに
仕事の用ではなく訪れた方のことをいいます)は、実に前年の2倍になりました。つまり、リリア一館で前年度一年間の全市分の来街者を集めたことになりま
す。
ぜひ皆さんも「リリア」を大いに活用していただきたいと思います。「年に一度はオーケストラを聴く」とか、「たまにはミュージカルを観る」といったよう
に、手軽にさりげなく文化・芸術を楽しめる暮らし、それがリリアの役割だと思います。また、メインホールや音楽ホール、催し広場など、大小の会場がそろっ
ていますので、お仲間とイベントを主催してみるのもいかがでしょうか。私が副園長を務める川口ふたば幼稚園では、メインホールを使って、子供たちの音楽発
表会を開いています。小さなときに大きな舞台に立つことも大切なことですから。もう一つの恒例行事が「し
んどう義孝ほほえみコンサート」です。毎回実行委員会を設け、チャリティの形式で主催しています。収益金はその時々で世界で一番必要な方に届けます。コソ
ボ難民、トルコ大地震の被害者、アフガン、イラク、北朝鮮拉致被害者支援とこの活動もずっと続けてきました。こんなふうにリリアを舞台に色とりどりの文化
の花が開いているのです。私はこうした心豊な暮らしづくりのために、これからも提案し続けて参りたいと思います。
新 藤 義 孝 |