私の地元川口で製造された旧国立競技場の炬火台(1964年東京大会の聖火台)が、2019年10月頃、川口市へ里帰りします。(2018年07月19日)

 

201407旧国立競技場聖火台私の地元川口で製造された旧国立競技場の炬火台(1964年東京大会の聖火台)が、現在貸出中の石巻市から岩手県、福島県を経て2019年10月頃、川口市へ「里帰り」します。
 
 
現在、宮城県石巻市に貸出され、2019年3月まで震災復興のシンボルとして展示・活用されている川口鋳物製の炬火台は、その後、岩手県・福島県で展示・活用されてから、川口市に里帰りします。
 
私は、聖火台を迎いれる川口市において、まずは専門業者によるメンテナンスを行った後に市民に公開し、みんなで聖火台を磨くイベントを開催してはどうかと、市長はじめ市当局に働きかけております。
 
この川口鋳物製の旧国立競技場・聖火台は、 最終的にはオリンピック終了後、レガシーとして新国立競技場に永久保存されることが決定しています。
 
川口の鋳物は900年にわたる歴史があります。1964年東京オリンピックの聖火台は鋳物師(いもじ)鈴木萬之助さん、文吾さん親子が精魂込めて製作したものです。
 
この聖火台は、一号機の作製中に溶けた鋳鉄を流し込む際に鋳型が大破して失敗、心労により父の萬之助さんが急死してしまった後を受け、息子の文吾さんが昼夜を分かたず必死で作り上げたもので、私は「魂の聖火台」と紹介させていただいております。
 
オリンピック終了後も毎年10月頃に文吾さんが丹念に磨き続けた聖火台は、現在、震災復興に取り組む石巻市に貸し出され復興のシンボルとして大切に使われています。
文吾さんが亡くなられた後はハンマー投げの室伏広治さんもなど多くのアスリートやボランティアがその遺志を引き継ぎ、多くの人によって磨き続けられています。
 
こうしたメンテナンスのおかげで、初代聖火台は今でも現役として火を灯し続けることができるのです。
 
2020年の聖火台を新たに製作するのか、初代聖火台を再使用するのか、どこに置くのかなどは、今後オリンピック委員会が開会式プロデューサーなどとの検討を行った上で決定します。聖火台への天下はオリンピック開会式のハイライトであり、どんな演出となるかはトップ中のトップシークレットです。
 
私は衆議院予算委員会の質問において、いずれにしてもオリンピック終了後、この川口製の聖火台は保存するだけでなく、スポーツを通し世界中の心が一つになった証「永遠の炎」として灯し続けてはどうか、と提案をしております。
 
 
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<これまでの要望活動について>