週刊新藤 第268号 WEB版〈硫黄島・日米合同慰霊祭を開催しました、川口鋳物製・聖火台のオリンピック活用を要望、しんどう義孝OPENタウンミーティングを開催します〉

  • 硫黄島・日米合同慰霊祭を開催しました。
  • 川口鋳物製・聖火台のオリンピック活用を要望。
  • しんどう義孝OPENタウンミーティングを開催します。

◇硫黄島・日米合同慰霊祭で挨拶しました。(2016年3月19日)

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民間航空路がない硫黄島。通常は自衛隊輸送機が唯一の渡島手段。日米慰霊祭の時のみ政府が民間機をチャーター。

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日米両国の国旗が入場し、式典が始まる。

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スノーデン前会長の前の米国硫黄島協会・ヘインズ会長未亡人と再会。

 

第17回 硫黄島・日米戦没者合同慰霊追悼顕彰式に出席いたしました。

朝方まで強い雨が降っていたとのことですが、私たちが着いた時には晴れ上がり、青い空に熱い日差しが照りつけておりました。

今はのどかな南海の孤島で、食べるものも飲む水もない想像を絶する厳しい状況下、逃げず、挫けず、へこたれず、大切なものを護る為に自らを投げだしてがんばった人々がいます。

先の大戦末期における硫黄島の戦いでは、日米双方の戦没者が2万7,000人に達する激しい戦闘が行われました。日本側守備隊は孤立無援の中、ほぼ壊滅の約2万1,900人もの損害となりましたが、米側の戦死傷者は日本側を上回る2万8,686人に達し、米側の損害が日本側の損害を上回る雄一の戦いとなるなど歴史に残る大激戦となりました。

私は式典で遺族代表として挨拶をし、71年前、家族や祖国の為に命を燃やした英霊の皆さまに心を込めて哀悼の誠を捧げました。

この硫黄島では昭和60年の終戦40周年目を第1回に、生還者や遺族が集まり日米合同の慰霊祭が毎年続けられています。かつて戦った者同士が合同で慰霊祭を続けているのは、世界でただ一か所、硫黄島のみといわれております。

Retired U.S. Marine and Iwo jima survivor Snowden greets Japanese Diet member Shindo prior to Japanese Prime Minister Abe's address to a joint meeting of Congress on Capitol Hill in Washington
安倍総理の演説で紹介され、握手を交わす新藤義孝前総務大臣とローレンス・スノーデン元米海兵中将

昨年4月29日の米国議会・上下両院議員に対する安倍総理大臣演説では、この慰霊祭こそが日米の和解と連携の証と紹介いただきました。日本側・硫黄島守備隊の総司令官だった栗林忠道陸軍大将は私の母方の祖父です。その場で私は、米側指揮官の一人であったスノーデン海兵隊退役中将と万感の想いを込めて静かに握手を交わし、盛大なる拍手と最大の栄誉を賜ったのです。


 

▽硫黄島のご遺骨は52%が未帰還

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直近に発見され開けられた壕。ここからは6柱が収容されました。

70年間、時間の止まった壕内。発見されたご遺骨の中には、ヘルメットをかぶり軍刀を抱え当時のままのお姿のものもあったとのことでした。

硫黄島北部にある兵団司令部壕脇の観音様。

兵団司令部壕の入り口。身を屈め狭い壕道の先には天井の高い天然壕があり、その先に栗林の執務室があります。

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ご遺骨の収集を終え、埋め戻された集団埋葬地には新たな石碑が設置された。「清心」の揮毫は不肖、私が行わさせていただきました。

硫黄島に眠る戦没者ご遺骨の収集帰還事業は、昭和27年より125回行われ、10,380柱のご遺骨が収容されていますが、残りの11,520柱(52.6%)が未だ島で眠られたままになっています。

最大の懸案は米軍占領以来一度も行われていない飛行場滑走路下の遺骨収集であり、私は政府に対し実施を強く働きかけてまいりました。安倍内閣となった平成25年12月、硫黄島遺骨収集推進関係省庁会議において、現滑走路の移設を行い、遺骨の全面調査を実施することが決定されました。現在は、電波調査などIT技術による空洞調査や遺骨確認を行い、反応した場所の調査を進めており、その後に現滑走路を引きはがし、ご遺骨の全面調査・収集を行う予定です。

「最後のお一人まで故郷にお還りいただく」まで、硫黄島の戦いは終わっていないのです。私は、硫黄島協会の皆さまや超党派の国会議員による「硫黄島問題懇話会」の同志と共に、硫黄島戦没者への慰霊追悼並びに、遺骨収集帰還事業を続けてまいります。

国会では3月24日、戦没者の遺骨収集を「国の責務」と位置付ける「戦没者遺骨収集推進法」が成立しました。今後9年間の集中実施期間を定め計画的、効果的に遺骨収集が進むことが期待されます。

時間が経ち世代が変わっても、私たちは現在の平和と繁栄が英霊の皆さまの貴い犠牲の上に成り立っていることを心に刻み、決して風化させることなく次の世代に伝えていかなければならないと考えております。

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日米合同慰霊祭の後は、天山慰霊碑において日本側の慰霊祭が行われます。

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硫黄島遺族代表として、心を込めて追悼のことばを捧げました。

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何より水が欲しかった皆様に献水。

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71年間、一度も遺骨収集が行われていない滑走路下。安倍総理の決断によっていよいよ作業が始まります。

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米軍の激しい艦砲射撃によって形状が変ったとされる摺鉢山(現在も活火山)と硫黄島の全景。
写真右側の南海岸より米軍が上陸した。砂浜の黒い部分はここ数年の隆起した場所


 

◇2020東京オリンピック・パラリンピックにおける、川口鋳物製・聖火台の活用を要望しました。

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平成26年7月、解体される旧国立競技場から取り外される直前、役目を果たした聖火台に川口市民を代表し、感謝を込めて挨拶してきました。

奥ノ木川口市長らと共に、遠藤オリンピック担当大臣、日本スポーツ振興センター・大東理事長、オリンピック組織委員会・武藤事務総長を相次いで訪問しました。

1964年の東京オリンピック・旧国立競技場の聖火台は、川口の鋳物師(いもじ)鈴木萬之助さん、文吾さん親子が精魂込めて製作したものです。国立競技場が解体されるまで使われ続けた聖火台は、現在、震災復興に取り組む石巻市に貸し出し中であり、毎年丹精込めて磨き続けられた聖火台は今も現役であり使用可能なのです。

このオリンピックレガシーである川口鋳物製の聖火台について、新しい国立競技場に再利用するか、初代聖火台として記念館などに保存展示するか、いずれにしてもどこかに活用して欲しい旨を大臣など関係者に強く訴えてまいりました。

併せて、景観材として900年の歴史を持つ川口鋳物の活用と、高い技術を誇る川口植木など緑化製品の活用を働きかけました。

遠藤大臣からは、川口の鋳物と植木や造園の技術を高く評価いただくと共に、オリンピック会場は日本全国の伝統ある技術の粋を集めたものにしたい、との考えが示されました。

かつて大消費地・江戸への製品供給地として貢献し発展した歴史を持つ川口の地場産業が、2020東京オリンピック・パラリンピックにおいても最大限の貢献が出来るよう、今後も働きかけを強めてまいります。


 

◇4月27日(水) 第26回 オープンタウンミーティングを開催いたします。

2010年の秋からスタートしたオープンタウンミーティング。「政治は街から。」

皆さまとの距離を近づけたいとの想いから始めました。前回2月のOTMにも、当日飛び込みの方も含め大勢の方にご参加いただきました。参加無料、入場自由、一問一答形式で皆さまからの質問に私がお答えします。

途中入場・退席も自由です。どうぞ、気軽にお立ち寄り下さい。

◎しんどう義孝OPENタウンミーティング
日 時: 2月24日(水) 19:00~
会 場: 川口駅東口前 フレンディア(キュポ・ラ4階)

▽申込みはこちらからお願いします。(当日受付も可)
オープンタウンミーティング申込フォーム

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