9月1日、1964年の東京オリンピック女子体操で3つの金メダルを獲得したチェコの、ベラ・チャフラフスカさんが亡くなりました。
東京、メキシコ2大会で活躍し、オリンピックの花と謳われた柔らかな美しさを持った女性でした。その存在は、私も子どもの頃の記憶に残っています。
しかしその人生は壮絶で、1968年のソ連軍のチェコスロバキア侵攻に抵抗する為の民主化運動「プラハの春」を支持し、政府からにらまれ一切の仕事を奪われるなど長い不遇の時代を耐え、「ビロード革命」で復権するも家族のことで再び苦境に立つなど、辛酸を舐め続けました。
私は2年前、2014年7月に日本の総務大臣として初めてチェコを訪問した際に、ベラ・チャスラフスカさんとお会いし、面談いたしました。
チャスラフスカさんは1964年の東京オリンピック以来、大の日本ファンになってくれ、2020年のオリンピックの東京招致についても国際社会で一貫して日本を熱烈に応援してくれたのです。今回の招致が成功した陰にはチャフラフスカさんの貢献もあったのです。
そのことを知った私は、日本政府を代表して感謝の気持ちを伝えるために面談を申し込みました。
面談では、彼女が大切に保管していた1964年東京オリンピック体操で獲得した金メダルや、日本から授賞した勲章もみせていただきました。そして2020年の東京オリンピックの成功を信じるという心強い言葉をいただき、大変勇気づけられました。
私はあらためて感謝の意を表するとともに、彼女の気持ちに応えるためにも皆が力を合わせて2020年東京オリンピックを成功させることを誓うと伝えました。
そして会談の後は、私が予定していた「プラハの春」の際に共産党政権による弾圧の犠牲となったヤン・パラフさんの記念碑への献花にも同行してくれました。ベラ・チャスラフスカさんは、チェコの自由民主化運動の中で大変御苦労され、厳しい状況の中でも自由と民主主義を追求された民主化運動の闘士でもあったのです。
ご一緒した際の美しくもの静かな立ち居振る舞いと、とても美しい柔和な笑顔が印象的でした。穏やかで優しい笑顔の奥に強い意志の光があることも良く覚えています。
今は只 安らかなる旅立ちであったことを祈るばかりです。
私は、一目ですっかりファンになりました。
ベラ・チャフラフスカさんのご冥福を心よりお祈りし、追悼の誠を捧げます。