2003.03.12 硫黄島・日米合同慰霊式にて追悼のことばを

硫黄島最後の日本軍最高司令官として昭和20年3月に玉砕した栗林忠道陸軍大将を祖父にもつ新藤代議士。遺骨収集に努める硫黄島協会(会長:遠藤喜義氏、顧問:新藤義孝)の皆さんととともに、日米合同慰霊式へ参加した。

京から約1,250km南方、日本本土とサイパンのほぼ中間にある硫黄島は、日本の領土の最南端に位置し、太平洋戦争において、日本本土防衛の最後の砦で
あり、米側にとっては日本空襲の前線航空基地として、日米双方にとって非常に高い戦略的価値をもっていた。硫黄島戦は、昭和20年2月19日から約1ヶ月
にわたり、日本軍21,000人、米軍61,000人が投入され、日本軍は玉砕した。しかし、当初5日間での攻略を予定していた米軍は、日本側の
21,000人を上回る28,000人の戦死傷者を出し、太平洋戦争で随一の大激戦として語り継がれている。
3月12日、自衛隊の輸送機で現地に
到着した新藤代議士ら一行は、日米再会記念碑の前で追悼式を行い、日米両国家斉唱、黙祷に続き、遺族代表として、また外務大臣政務官として政府を代表し、
新藤義孝代議士が追悼のことばを捧げた。新藤代議士は、「硫黄島の戦いから58年、今日、日米両国は力を合わせてテロと闘っています。今日の平和が多くの
尊い犠牲の上に築かれたことを心に刻み、日米が協力して世界の平和と安定のために一層努力していくことを改めて決意します」と誓いを述べた。
また、硫黄島協会は、昭和46年に建設されて以来手付かずの鎮魂慰霊碑の改修を国に要望しており、この問題に高い関心を持つ前厚生労働副大臣の宮路和明衆議院議員にも今回始めて渡島いただき、島の現状を視察していただいた。
戦後半世紀以上を経た今なお、硫黄島には1万柱以上もの日本軍将兵の遺骨が残されたままで、硫黄島協会が戦没者の慰霊と遺骨収集活動を続けており、亡き祖父を偲び、その一助となるよう新藤代議士も外務省や厚生省に働きかけている。