第 3 号
2004.04.19
発 行


< サッカーは世界をつなぐ >
  日韓ワールドカップが築いたもう一つの友情 (1)


 サッカーの 2006年、ワールドカップ(以下、W杯)ドイツ大会出場をめざして、日本は今、アジア地区1次予選リーグで熱戦を繰り広げています。ジーコ監督率いる代表チームは苦戦続き、サポーターや関係者からジーコ批判が噴出しています。

 しかし、ジーコのめざすサッカーは、トルシエ前監督が築いた組織力を土台として、個々の選手の持つ技術のさらなる向上によって、ひらめきともいえる個人技を随所に発揮させ、より強いチーム作りを行う。いわば欧州型サッカーと南米型サッカーの高度な次元での融合をめざしているともいえましょう。
そのような意味で、今は辛抱のとき、ジーコのめざす理想のサッカーが完成されることを信じて、日本代表を応援していきたいと思っています。

 私は中学校、高校、大学と10年問、サッカ一部に所属して、ひたすらボールを追いかける青春時代を過ごしました。残念ながら大学時代は、高校生のときに傷めた膝の故障が原因で、同好会でのサッカーでしたが、ウサギ跳びなど厳しいトレーニングで鍛えた足腰は、今でも私の大切な財産になっています。

 1996年、「日韓ワールドカップ」の開催が国際サッカ一連盟(FIFA)によって決定されました。1930年の第1回大会以来、約70年の歴史を持つW杯ですが、アジア大陸で初、二つの国による共同開催も初、そして開催年も21世紀初ということで、初もの尽くしの大会となりました。

 もともと日本と韓国は兄弟のような国。ところが、「近くて遠い国」といわれるように、太平洋戦争以来、なかなか信頼の絆を結べぬまま今日を迎えていました。初もの尽くしの上、国家元首の参加の在り方、開会式はどちらで行うか、物価の違いによるチケットの価格設定等、成功に向けて越えねばならない、たくさんのハードルが待ち受けていました。

 そこで「何としても日韓W杯を成功させねばならない」との熱き思いのもと、超党派の「W杯推進国会議員連盟」(会長:宮澤喜一元首相)が、1996年6月に発足したのです。
その発足と同じ年の10月に初当選した私は、「よし、まずはここでサッカーの経験を生かして実力発揮」とばかりに、W杯推進国会議員連盟に名前を連ねました。

 同じく韓国にも発足したW杯推進国会議員連盟との交流の中で、「我々議員も日韓でサッカーの試合をして、お互いの友好親善を深めよう。そのことがW杯の成功につながる」という声が高まり、1999年3月6日「日韓国会議員親善試合」が、前年のソウルスタジアムの試合に続き、東京の国立競技場で開催されました。



 私のポジションはフォワード。代表チームと同じブルーのユニフォームに身を固め、いよいよ審判の笛と共にキックオフ。隣にいるのは参議院議員の釜本邦茂さん。何と、メキシコ五輪得点王の、あの釜本選手とコンビを組んだのでした。私が勇んで敵陣に攻め込んでいくと、そこには予想もつかない展開が待ち受けていたのでした。

新 藤 義 孝

 (次号に続く)


新藤義孝プロフィール

 昭和33年川口生まれ。明治大学卒業。
 川口市役所で地方自治を経験し、市議を経て、
 平成8年38歳で衆議院議員に。当選2回。

 小泉内閣では総務大臣政務官(43歳)、
 続いて国会対策副委員長、
 外務大臣政務官(44歳)を歴任。
 昨年11月の総選挙で惜敗。次をめざす46歳。


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