第160号 麻生太郎さんのこと ~日本を明るく元気に~


難問山積ですが、麻生新総理のもとで、みんなで力を合わせて
暮らしを立て直し、明るく元気な国をつくりたいと思います。


 この度の自民党総裁選挙では、全体の 3 分の 2 の得票を得て、麻生太郎さんが新しい総裁に選出されました。埼玉県でも麻生候補が 1
位となり地方票 3
票を得ております。早速夕方には自民党役員人事が行われ、24日の臨時国会冒頭での首班指名選挙により第92代の内閣総理大臣に就任しました。私は今回の
総裁選で麻生太郎さんを勝手に支援する連合(通称:麻生勝手連)を派閥横断の仲間と結成し、応援させていただきました。(文中:敬称略)


◆ 総裁選挙の思い出

 麻生さんと本格的なつきあいが始まったのは平成13年 4 月、麻生さんが初めて総裁選に立候補した時のことです。私は仲間 3
人と共に派閥によらない総裁選を企画し、候補者別(橋本龍太郎、小泉純一郎、亀井静香、麻生太郎各氏)の政策懇談会を企画しました。
 この企画は私たちが勝手に企画したものであり、党本部の公式な行事ではありません。当時、橋本派にいた私は派閥反乱軍と呼ばれ、派閥の幹部議員からは連
日呼び出しを受け、集会を中止して橋本龍太郎候補の選対に参加するように、と猛烈な圧力をかけられておりました。
 そういうプレッシャーの中で企画した集会です。衆議院の 3 回・参議院の当選 1
回までの議員約150人に案内文を出しましたが、人が集まるかどうかも全くわかりません。
 何より肝心の総裁候補者がきてくれなければ、この企画は私達の 1
人よがりだったことになってしまいます。そんな緊迫した状況の時、「面白いじゃないか。俺は出席する」と一番に返事をくれたのが麻生太郎候補でした。
 麻生候補が出席するという話を聞いた亀井候補が次に返事をくれ、小泉候補が続きました。橋本候補は選対幹部がこの話をにぎりつぶしていたのですが、新聞
記事を読んだ橋本先生本人が俺も出るといってくれて出席していただきました。
 初めて麻生太郎さんの話を聞いた時、世界観や歴史を踏まえスケールの大きい話をする方だな、と思ったことを良く覚えております。
 また、私のようなつきあいのない若手議員の想いもしっかり受け止めてくれる度量と決断力のある方だと思いました。
 この時をご縁に時々声をかけてくれるようになり、以来 7 年に亘るお付き合いが始まりました。



◆ 私が見た麻生太郎さん

 麻生さんはよく「半径1.5mの男」といわれます。近づかないと良さがわからないという意味です。私も全くその通りだと思います。日本の総理大臣となら
れた方の人間性を皆様に知っていただくことはとても重要だと思い、私が感じた麻生さんの人物像をお伝えさせていただきます。



◆ 本当は演歌好き

 外見はダンデイーで葉巻をくゆらせ、音楽はジャズかクラシックか、という感じですが、私がご一緒した時いつも歌うのは演歌でした。ある時、新藤「先生、
もしいつか総理になった時、お祝いの席で今のようなド演歌では先生のイメージが狂います。何か横文字のポップスでも歌ってください。」
麻生「そんなもん知らねえ。」
新藤「じゃ私がお教えします。」
たしかこの時はジョン・デンバーの「カントリー・ロード」を英語で一緒に歌いました。



◆ 人の話をとことん聞く

 平成16年、私の母が他界した時、総務大臣だった麻生さんは会議を抜け出して私の家までお線香を上げに来てくれました。落選中だった私の所においでいた
だいた時のことは生涯忘れることができません。
 母の葬儀が終わり、私は国会関係のお世話になった方々へお礼に伺いました。もちろん超多忙な方々ばかりです。面会のアポはとらず名刺だけおいて帰るつも
りでした。総務省の大臣室に行くと、秘書官が私が来たことを外出中だった麻生先生に連絡してくれました。すると、もうすぐ帰るから待っているように、との
ことです。しばらくして大臣室に帰って来られた麻生さんに私はお礼を申し上げ退出しようとすると、麻生さんは色々な話を私にしてくれるのです。
 大臣室の外には打合せのために官僚や来客が何組も待っています。しかし、麻生さんは全く時間のことなど気にする様子もなく、いつまでたっても話が終わり
ません。たまりかねた私が、「大臣もう結構です。皆さんお待ちですので私はおいとまします。」というと、麻生さんは「そうか、それでは仕方ないな」といっ
てようやく話を切り上げました。普通、大臣レベルになると 5
分刻みでスケジュールが入ります。相手が退出を言い出すまでいっさい次の予定を気にしない素振りをする、麻生さんの懐の深さに私は深く感銘を覚えました。



◆ 実は落選経験あり

 故・吉田 茂首相の孫であり明治の元勲 大久保利通の玄孫、麻生財閥のオーナーという華麗な出自を誇る麻生さんですが、 3
度目の選挙で落選しています。この時、落選中の麻生さんに最も感銘を与え、励ましてくれたのは、故・田中角栄先生だそうです。落選中の心構えを 2
人きりで伝えられた麻生さんは、それを胸に刻んで政界復帰を果たしたのです。
 実は私も落選中に、麻生さんから角栄先生の話を伝授されており、それを励みに私も頑張らせていただきました。政治は人と人とのつながりであると実感して
おります。



◆ 日本を明るく元気に

 今、私達の国に最も必要なこと、それは景気を良くし、生活を立て直し、将来の希望を灯し、国の安全を確立することです。政治にはその為の実行力が求めら
れています。臨時国会が開会され麻生太郎総理大臣のもとで、難問山積の政権運営が始まります。そして解散総選挙です。日本の行く先を決めるとても大切な試
練に立ち向かわなければなりません。国のため、暮らしのため、まちのため、みんなのためになすべきことを考え、その使命感に燃えて、どんな困難にも耐え抜
く勇気と信念を持って、この国を明るく元気にするために頑張って参りたいと心に決めています。


新 藤 義 孝