第96号 映画 「硫黄島からの手紙」 ~祖父 栗林大将のこと~


3月8日、映画制作発表の日に、硫黄島では日米合同慰霊祭が開催されました。

 3月8日、クリント・イーストウッド監督が取り組んでいる硫黄島戦を描いた映画「硫黄島からの手紙」の制作発表がありました。

 昨年4月に「週刊新藤54号」でもご紹介しましたが、イーストウッド監督は、この太平洋戦争最大の激戦と言われる戦闘を、日米双方の視点から描きたいという構想を持っていました。
 そのうちのひとつ、硫黄島の擂鉢山に米国旗を打ち立てた6人の米軍兵士を描いた「父親たちの星条旗」は既に昨年末に撮影を終えており、この秋に公開が予定されています。
 そして、日本側の視点から描かれたもうひとつの作品「硫黄島からの手紙」は、この3月半ばから撮影が始まることになっていて、公開は今年12月の予定とのことです。


◆ 「硫黄島からの手紙」

 映画のプレスリリースの一節をご紹介しましょう。
「アメリカで教育を受け
た栗林は、米軍による硫黄島総攻撃に対し日本軍を率いて果敢に臨んでいく。このすさまじい戦いの先にあるものはもはや名誉の死しかないと思われるなかで、
栗林の意外な戦略により日本兵たちは思いもよらぬ力を発揮して、すぐに決着がつくはずの戦いを40日近くに及ぶ歴史的な死闘に変える...」

 島中に地下壕を掘って前代未聞のゲリラ戦を展開し、鬼神のごとく戦った栗林忠道陸軍中将も、幼い末娘を案じた手紙を送る1人の優しい父親でした。その栗林の人柄は、映画化の元となった「玉砕総指揮官の絵手紙」(小学館文庫)や、昨年刊行された「散るぞ悲しき」(新潮社)に詳しく描かれています。
(「週刊新藤11号でも紹介させていただきました)
 主人公、私の母方の祖父となる栗林忠道を演じるのは、今やハリウッドスターとして名高い渡辺 謙さんです。「撮影に入る前にぜひお会いしたい」という連絡があったのは、先月半ばのことでした。


◆ 渡辺 謙さんのこと

 渡辺 謙さんは、想像していた以上に謙虚で穏和な方でした。配役が決まってから、硫黄島や栗林忠道に関する文献を調べて読み漁っていたそうで、私たちの話を聞きながら熱心にメモを取っていました。
 2万余の硫黄島守備隊に対し、米軍は6万の上陸部隊を先頭に総数15万人を投入。「絶対に勝てるはずのない戦いに、降伏するという道もあるのに、日本人
は負けるのがわかっていながら何故戦うのか」アメリカ的合理主義では理解できない日本人の行動と心情が、この映画のテーマのひとつです。
 渡辺 謙さんは、「ラストサムライの撮影の時にも、『人を守るために自分が犠牲になる』という武士道精神は、騎士道精神を文化に持ったヨーロッパの人たちには理解してもらえたが、アメリカ人にはなかなかわかってもらえなかった」と語っていました。
 日本人として、そうした心情を表現しなければならない、と熱い思いを私に語ってくれました。
 対談から数日後、役を演ずる前にお墓参りをしたいという渡辺 謙さんを、長野市松代の明徳寺にある栗林家の墓にお連れしました。遺族を気遣っていただくと共に、今回の役づくりにかけるトップ俳優としての心意気に、私は感心しました。


◆ 遺族たちの想いを次世代へ

 映画の発表があった日と同じ3月8日、硫黄島では、今年も日米合同慰霊祭が行われました。自衛隊の輸送機で渡島した私は、遺族を代表し、尊い犠牲となった英霊に追悼のことばを述べました。「この硫黄ガスが噴き出す小さな島で、玉砕突撃をせず地下のトンネルに籠もり、死ぬより苦しい生を生き抜いた皆様は、何を支えに戦ってくれたのでしょうか。私の祖父が、当時10歳だった娘に宛てた手紙にその本当の理由が見えてきます...
 私たちは過去の厳しい戦いを決して忘れることなく、また何よりも平和を守るために戦って戴いた皆様方の気持ちを受け止めて、国の発展と世界の平和のために私たち一人一人が努力していかなければならない。そのことを教えていただくのがこの島でございます...」
 2万人を超える日本軍戦死者を出した硫黄島から生還したのはわずか1,033名。しかし、戦後60年以上を経た今、生存者も20名程に減り、英霊たちを
直接知る遺族も高齢化しています。当時の悲惨な状況を知らない世代が国民の大半となっている今こそ、現在の平和が尊い犠牲の下に成り立っていることを知
り、繰り返してはいけない悲しみの歴史に思いを馳せる。今回の映画が、その一助となればと願っています。

新 藤 義 孝