第21号 アテネ・オリンピック ~聖地の祭典に平和を想う!



リンピック発祥の地・アテネにおいて、第28回オリンピック競技会アテネ大会が今月29日まで開催され、柔道の谷亮子選手や野村選手、28年ぶりの体操男
子団体の金メダルなどによって、日本全土をさらに”熱く”しています。そこで本号では、戦渦を乗り越えオリンピックに参加したアフガニスタンを通して「平
和」あるいは「国家」というものを見つめ直してみたいと思います。

日本主催のアフガニスタン国際会議のため来日したカルザイ大統領を出迎える新藤義孝(2003.2)

オリンピックの歴史とは、戦争や冷戦、人権問題やテロなどに翻弄されながらも、アスリートたちによるスポーツを通して世界平和実現に向かう歩みです。それぞれの国民が応援を通して、母国というものをより深く意識する機会として、その歴史を刻んできました。

例えば、1980年の第22回モスクワ大会では、前年の旧ソ連軍によるアフガニスタン侵攻に抗議し、カーター米大統領(当時)がオリンピックをボイコット
しました。日本も米国に同調し大会に不参加。オリンピックをめざして、日々努力を重ねてきた多くの日本人選手の夢が、無残にも砕かれてしまった大会でし
た。

一方では、そのような不当な政治権力や暴力に屈することなく、オリンピックは「平和の祭典」として、多くの足跡を残してきました。もともと古代オリンピッ
クでは、ギリシャの都市国家が戦争の最中にあっても、オリーブの冠をかぶった聖なる使者が各都市をまわり、オリンピックのための休戦を呼びかけ大会を実現
してきたのです。今回はオリンピック史上初めて聖火ランナーが五大陸のすべてを巡り、まさに聖なる使者として、国境や民族、そして思想や宗教を超えて世界
の平和を訴えました。

前回の第27回シドニー大会で、民族は同じでも戦争によって国が分断されてしまっている大韓民国と北朝鮮人民共和国が、初めて統一旗を持って一緒に入場行
進を行ないましたが、このたびのアテネ大会でも合同の入場行進が行われ、世界中に大きな感動を与えました。さらには、度重なる戦渦を乗り越えてイラクやア
フガニスタンといった国も参加し、イラクはサッカーで予選リーグ突破、アフガニスタンの選手も大健闘中です。その両国の活躍を目の当たりにすると、私自
身、万感胸に迫る思いがあります。ここでアフガニスタンに関する、私の忘れられない思い出をお話しさせていただきます。


フガニスタンは1979年からの旧ソ連軍による支配と、引き続いての内戦、そしてイスラム原理主義のタリバーンによる非文化的な圧政といった不条理な統治
を経て、2002年6月にカルザイ大統領のもと、20数年ぶりに新たな復興の道を歩み始めました。その翌年の2月に日本政府主催による国際会議「アフガニ
スタン『平和の定着』東京会議」の開催が決定し、私は来日するカルザイ大統領を、日本政府代表として羽田空港の特別機専用駐機場で出迎えたのです。

私はそれまで国会議員として、アフガニスタンへの支援に取り組んで参りました。「日本の顔の見える国際貢献」をキーワードに、復興安定のための紛争予防、
地雷・不発弾の除去、難民の定住、教育や保険・医療など、さまざまな問題に対し、国際会議などで提言を行ったのです。また、2002年12月には首都カ
ブールで開かれた「善隣友好会議」に日本政府代表として出席。カルザイ大統領との会談の中でお互いの年齢が同じということが判って以来、政治的駆け引きな
しの肝胆相照らす仲となっていたのです。

「大統領の出迎えは仲の良い新藤政務官が行くように」、との首相官邸からの指示を受け、2003年2月20日、私はアフガニスタン大使館の大使以下職員の
皆さんと一緒に、カルザイ大統領の乗る国営アリアナ航空の政府専用機の到着を待っていると、遠くにジェット機の翼が小さく見えてきました。だんだんとその
姿は大きくなり、アリアナの文字が描かれた機体が間もなく着陸というときです。大使館の人たちが皆、大粒の涙を流しながら、必死に声を詰まらせて泣いてい
るではありませんか。

実は、アフガニスタン国営のアリアナ航空が飛ぶのは、1990年代のタリバーン政権以来、十数年ぶりのことだったのです。しかも、タリバーンによって国営
機のほとんどが破壊されてしまい、一機だけ破壊を免れた故障だらけの飛行機に乗って、カルザイ大統領は国のため、国民のため、威風堂々と日本にやってきた
のでした。

一機だけ残った国営機を使用し、カルザイ大統領は来日。機体に「ARIANA AFGHAN」の文字が見える。十数年ぶりに飛ぶ国家の飛行機は平和の象徴。アフガニスタン大使(私の右隣)らは、その姿を見て涙した。

私の隣に立つ駐日アフガン大使は、「母国の旗を遠い日本の空で、十数年振りに見た感激を理解して欲しい。私達は世界中の人々にアフガンは平和になった、と
いうことを知らせたい。継ぎはぎだらけの飛行機に乗ってやってきたカルザイ大統領の勇気を称えたい。」と誇らしげに話してくれました。

私たちが母国である日本を心から意識する時はいつでしょうか?幸い私たちは今、オリンピックというスポーツを通して日本を意識することができ、そして私た
ち日本の代表選手を心から応援し、喜びと悲しみ、栄光と挫折を共感し、共有する機会を得ています。野球の長嶋茂雄日本代表監督の「for the
Flag」という言葉ではありませんが、スポーツによる世界の平和を願いつつ、日の丸のもとでスポーツマンシップに則って戦う日本の代表選手に、精一杯の
声援を送っていきたいと思っています。

新 藤 義 孝