第11号 新藤後援会事務局特別寄稿 新藤たか子さんを偲んで


新藤義孝のお母様が6月3日他界されました。8年前に慢性骨髄性白血病にかかり、3年前からは胃がんも併発。最後まで川口ふたば幼稚園の園長として幼児教育に全精力を傾け、現職のまま逝かれました。69歳でした。
新藤後援会事務局では故人たか子さんのお人柄を偲び、またその父親からの手紙に読みとれる新藤義孝に受け継がれたDNAをお伝えしたく、特別寄稿いたします。

新藤たか子さんとお父さんの栗林忠道さんのことが記事になり、日本中に大きな反響が起きたことがありました。まず始めにその文章を紹介すると、

『末
娘のたか子さんは、当時10歳だった。別れの日に門の前で泣いた。お父さんの栗林忠道さんは「たこちゃん、元気ですか」という短い遺書を硫黄島から送っ
た。「お父さんは、お家に帰って、お母さんとたこちゃんを連れて町を歩いている夢などを時々見ますが、それはなかなか出来ない事です。
▼「たこちゃん。お父さんはたこちゃんが大きくなって、お母さんの力になれる人になることばかりを思っています。からだを丈夫にし、勉強もし、お母さんの
言いつけをよく守り、お父さんに安心させるようにして下さい。戦地のお父さんより」
▼若いころ米国に留学していて国力の差をよく知っていた栗林さんは、米国との戦争に勝ち目はないと主張した。そのため主戦派の軍上層部に嫌われ、絶対に生
きて帰れない硫黄島守備隊の司令官を命じられたと言われている。
▼着任した栗林さんは、まず島の住民を戦火に巻き込まれないよう強制疎開させた。掘ればすぐ硫黄ガスの混じった蒸気がわき出る島にトンネルを掘り、要塞化
した。そして、できる限り敵を食い止めるから、早く終戦交渉を始めるよう上申した。
▼地下の洞窟に立てこもった硫黄島守備隊2万は、押し寄せる米軍上陸部隊6万、支援部隊22万を相手に歴史に残る激闘を演じて、全滅した。しかし東京のソ
ファに座った戦争指導者たちは終戦の決断ができなかった。いたずらに時が流れ、沖縄、広島、長崎と、多くの国民の命が失われた。
▼重い責任を負わされたらだれでも逃げたくなる。体が逃げなくても、心が逃げれば思考停止になる。だが栗林さんのように踏みとどまる人はいる。いっしょに
散歩した日のたこちゃんの小さな手の感触が支えだったのだろうか。責任から逃れたくなったら、栗林さんの短い文章を思い出すといい。時を超えて励ましてく
れる気がする。』

(平成12年8月9日の毎日新聞「余禄」)

この逸話は戦後も語り継がれ、じつは今までも数々のテレビ番組や書籍にまとめられています。(「玉砕総指揮官」の絵手紙・小学館文庫)この記事は読者からの反響が大きかったため続編が書かれました。

『た
こちゃんこと、たか子さんの家は東京大空襲で焼けた。疎開先の長野では姉が病死した。戦後、お母さんが、女手一つで兄妹2人の子供を育てた。たか子さん
は、早大在学中に大映の新人女優に選ばれたが、助監督と結ばれて主婦になった。大学に入りなおして、幼稚園の教員資格をとり、いまも埼玉で幼稚園長をして
いる。子息は衆議院に出た。当選2回の若手だが、「日本の顔の見える国際貢献」をライフワークと考えている。▼ある目、たか子さんは、お母さんから、夢枕
に栗林さんが現れて「いま帰ったよ」と言ったと聞かされた。ほどなく、硫黄島が、米国から返還されたという知らせが来た。不思議な夢として、一家に語り継
がれている。』
(前文省略8月21日の毎日新聞「余録」)


お父さまは、硫黄島最高司令官・栗林忠道陸軍大将
真実を主張し、最善を尽くし、責任を果たした新藤義孝の祖父栗林忠道さん。軍人でありながら、第二次世界大戦終結の歴史的功労者です。
その次女として生まれたのがたか子さん。若き日は、華やかりし映画界で女優としても活躍しながら、早稲田大学にも通いました。大映の助監督だった新藤孝衛
さんと結婚後は、日本女子大学に再入学し、幼児教育の勉強をして、昭和44年川口ふたば幼稚園を孝衛さんと共に設立。長男の義孝をはじめ3人の子育てをし
つつ、園児数600人の県下最大の幼稚園長として教育に情熱を注ぎました。

設立35年、卒園児は7千人を数え、葬儀告別式の時も、卒園後10年、20年といった若い年齢の弔問客を多く目にし、愛され尊敬された園長先生だったのだろうという思いが致しました。

たか子さんは、お父様と同じように、幼児教育の道で「真実を主張し、最善を尽くし、責任を果たして」逝きました。亡くなる10日前の5月24日には、死を
前に[お別れのあいさつ]をビデオにおさめました。告別式ではその声が会場に流され、死を惜しむ皆様の涙を誘いました。69歳の生涯が、短かったのか長
かったのか、もう少し・・・という想いは致しますが、生涯を見事に完結し、大きな功績を残して逝った新藤たか子さん。万感の思いを込めてご冥福を祈りたい
と思います。

(事務局寄稿)