12月25日から3日間、「橋本派は今−最大派閥の虚実」と題して産経新聞に連載された記事を以下に掲載します。
橋本派は今−最大派閥の虚実(上)
四月の自民党総裁選で橋本龍太郎元首相を担ぎ、小泉純一郎首相に大敗した橋本派。その後は小泉政権に対峙する「抵抗勢力」と位置付けられ、衆参両院で百人を超す巨大派閥でありながら、小泉首相の攻勢の前に立ちすくんでいるようにもみえる、派閥のオーナーだった竹下登、小渕恵三の両元首相を失い、次世代を担う「総裁候補の不在」という課題も重くのしかかる。最大派閥の今を追った。
「橋本派の中の抵抗勢力と呼ばれている、橋本派のタリバンです」
栃木県矢板市で十四日夜に開かれた県議主催の講演会、・当選二回で経済産業政務官を務める大村秀輩は自嘲気味に自己紹介して会場の笑いを誘った。
橋本派は自民党議員の三割にあたる百二人のメンバーを擁し、数では他派閥を圧倒する。しかし、"創業者〃である故田中角栄元首相を知る世代から小渕元首相が亡くなった後に派閥入りした議員まで幅広く、世代間の断層は第三者の目にも明らかになっている。
自民党総裁選がヤマ場を迎えた四月十二日朝、橋本擁立を決める同派臨時総会に大村、新藤義孝ら若手議員約二十人の姿はなかった。「若手造反」の動きは総裁選の行方に影響を与え、橋本は小泉に大敗した。
半年経過した十月二日夜。東京・赤坂の焼き肉屋「松阪」で大村ら当選二回組でつくる「一成会」が開いた会合で、乾杯のあいさつに元幹事長、野中広務が立った。
野中 「総裁選で結束できなかったのは大変残念だった。百人を超えると面倒を見切れない。無理に頼んで居て欲しいとは思っていない。出てもらって結構だ」
野中の厳しい言葉に大村たちはうつむいた。竹下の紹介で政界入りした大村は「野中さんを尊敬しているし、派閥維持のため、汗をかいて仕切っていることに恩義も感じている」という。その上、対立候補に約三百票差で辛勝した選挙区事情からも、大派閥の支援は欠かせない。
だが、大村は二週間後の十六日、都内のホテルで資金集めパーティーを開き、「エネルギッシュに行動し、小泉総裁を選出した」とするパンフレットを平然と配布した。
二目後の橋本派総会で野中は「許せない行為」となじったが、大村は「小選挙区制導入で派閥の垣根は低くなった。忠誠を誓って出世していくメカニズムは色あせている」と自説を曲げない。
派閥を離脱して非自民政権を誕生させた小沢一郎(現自由党党首)と「生死を賭けて」切り結び、自らの総裁選出馬を断念してまで「壊してはいけない常在」と派閥防衛を最優先させてきた野沖の目には、大村らが「異邦人」に映る。
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外相、田中真紀子と前党総務局長、鈴木宗男との衆院外務委員会での二度目の対決を翌日に控えた六月二十六日夜。総務政務官の新藤ら若手議員は都内の料理屋に鈴木を呼び出した。
新藤「どんなにやっても悪者になるから、追及もほどほどにすべきじゃないでしようか」
鈴木「マスコミや世間からどんなに悪者にされても、信念で必要なことはやる」
鈴木は烈火のごとく怒ったが、新藤から「私たちも、そういう思いで総裁選を戦ったんですよ」と切り返されると苦笑いするしかなかった。
総裁選のさなか、鈴木は新藤に何度も橋本を支持するよう説得したが、果たせなかったことを思いだしたからだ。
「政治家の判断は自分でも有権者でもない別のものに強制されるべきではない。数の力による派閥の論理は崩壊した」新藤は今もそう言う。
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「ああいう場所にのこのこと出かけていくな」 ふだんは温厚な参院幹事長、青木幹雄の怒声が東京・永田町の個人事務所に響いた。十二月六日、ホテルオークラで元首相、中曽根康弘が開いた会合に政調会長の麻生太郎、経済産業相の平沼赳夫らとともに、同派幹部で元経済財政担当相の額賀福志郎が参加したことへの怒りだった。
額賀は今年一月、中小企業経営者福祉事業団(KSD)事件をめぐり閣僚を辞任、「総裁候補を持たない派閥ほど弱いものはない」と漏らすことが多くたった青木にとって、額賀は数少ないカードだ。政局の思惑含みの会合に軽率に出席したことは許せなかった。
「小泉首相みたいに組織に頼らず総裁を狙うならいいが、額賀は気配りが足りない」と青木側近は解説する。
額賀、鈴木と同期の衆院議運委員長、藤井孝男も青木の不満を共有しており「頼りないと思われるのはその通りだが、田中イズム、竹下イズムで教わったことを引き継ぎたい」と言う。だが、同派の現状を「雨が降り続いている」と形容するように、具体的な打開策を見いだせていない。
ある中堅議員はこう漏らす。「小泉政権ができて今まで植え込みだと思っていたところに道があったと思い知らされた。うちが得意としてきた公共事業獲得と票とをバーターする従来型の手法はもう通用しないし、昔の道にはもう戻れない」
特殊法人改革、郵政事業への民間全面参入など、矢継ぎ早やに繰り出される小泉改革に協力するのか。それとも徹底的に戦うのか。その答えを最大派閥ばまだ出していない。
橋本派は今−最大派閥の虚実(中)
東京・永田町の自民党本部一階に、ここで開かれる会合の開催予定が一目でわかる最新式の電光掲示板が設置されている。だが、この掲示板に表示されない会合もある。
「郵政事業懇話会」 橋本派事務総長の野中広務が会長を務める。郵政事業庁の応援団で、「郵政族」議員の牙城だ。非公開で開かれるこの会合は二十一日も会場を直前になって変更、橋本、江藤・亀井両派を中心に約三十人いた出席者のほとんどは会合が終わると記者団からの問いかけに一切答えず、足早に立ち去った。
郵政省出身の参院議員、高祖憲治が九月、参院選で大量の選挙違反者を出した一責任をとって議員を辞職。懇話会も謹慎を余儀なぐされていたが、首相、小泉純一郎が郵便事業への民間企業の全面参入の方針を示す中、「本格的な巻き返し」(出席者)に入った。
「高祖問題」が発覚した直後、会長辞任を口にしていた野中の続投も決まった。「小泉改革に対抗するには野中さんしかいない」と郵政族の一人はいう。
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「2.7%引き下げでいきますから」
橋本派会長の橋本龍太郎は十二月十四日、官房長官、福田康夫に焦点となっていた診療報酬引き下げ幅を電話で「通告」した。
「三方一両損」と言うばかりで具体的な決着点をはかりかねていた首相官邸に異論があろうはずはなかった。三日後の十七日、政府与党は淡々と「橋本案」通りに引き下げ幅を決めた。
水面下で日本医師会、厚生労働省などとの調整役を果たしたのは、・「厚生族のドン」である橋本だった。
日本道路公団民営化問題でも、道路行政に詳しい同派会長代理の村岡兼造が道路調査会長、古賀誠と頻繁に連絡をとり、道路公団への国費投入行ちきりを受け入れる代わりに既に計画された高速道建設が事実上継続できる「五十年以内償還」という落とし所を見いだした。「橋本派の力は落ちていない。見えないだけだ」と幹部の一人は胸を張る。
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だが、大きな変化も起きている。
「えっ、もう終わったの?」
、平成十四年度予算編成の閣僚折衝を前にした二十一日朝、自民党本部で開かれた国土交通部会の情報を得ようと集まった省庁関係者は驚きの声をあげた。
わずか二十分。例年なら折衝に向かう閣僚を拍手で送り出すところだ。しかし、今年は小泉の掲げる「新規国債発行三十兆円枠」と「公共事業費10%削減」の大方針のもとで予算編成の大枠はすでに決まっていた。橋本派からも数えるほどしか出席せず、気勢はあがらなかった。
橋本派の公共事業への影響力は、列島改造論を打ち出した元首相、田中角栄以来、他派閥の追随を許さなかった。しかし、建設業界はバブル崩壊後、未曾有の低迷のふちに沈み、元首相、竹下登との関係が深く
「竹下銘柄」と呼ばれた青木建設は民事再生法適用を申請した。.
派閥の台所事情も苦しくなった。年末に派閥から各議員に支給される、「モチ代」は二百万円だったが"ありがたみ"が薄れたせいか、「まだ派閥事務所に受け取りに行っていない」という若手議員もいる。.
政治資金収支報告書によると、平成十一年に橋本派の政治団体、平成研究会に元首相、小渕恵三が五千万円、衆院議長、綿貫民輔が三千万円を出した。小渕の死去した十二年の収支報告では、綿貫の五千万円を筆頭に、橋本、野中、参院幹事長の青木幹雄らが一千万円ずつ出しあったが、「総裁候補の格にあった資金を出している議員はいない」(古参秘書)。
江藤・亀井派中堅は「橋本派が公共事業に影響力があるといっても{小泉政権の下では発揮できる権限も限られる。総裁侯補もいねい派閥の力は弱っている」と指摘。ある自民党関係者一は「竹下は、民間企業を割
り振ってカネや選挙で所属議員を支援させたが、政治一資金規正法が改正され、派閥がそういう機能を果たすことが難しくなった」と解説する。
今年六月「郵政改革について自由にモノを言いたい」と橋本派を脱退した元農水相、大原一二は、「橋本派は以前は政権取りの気迫があったが、今は族の論理が幅をきかせる子供の派閥になった」と指摘している。
橋本派は今−最大派閥の虚実(下)
「長いことおうてなかったな」
橋本派事務総長の野中広務と参院幹事長、青木幹雄は十八日午後、久しぶりに二人だけで今後の政局についてじっくりと話し合った。
派閥のオーナーだった竹下登、小渕恵三なき今、橋本派を支える両輪はこの二人。だが今春、ポスト森喜朗の最有力候補として野中の名前が浮上した際、青木が強く反対。小泉政権発足後は、青木が橋本派として「唯一」の首相との窓口の役割を担い、野中と青木の関係は微妙とみられていた。
三日後、青木は、野中も出席して開かれた首相、小泉純一郎と幹事長経験者との会合で「抵抗勢力が本気を出していないちゅうことを、あんた、気づいていないわね。本気を出したら、こんなもんじゃねいわね」と言い放った。野中の心境を代弁しつつ、橋本派などが要求した内閣改造を拒んだ首相に党内融和を求める厳しい忠告だった。
橋本派幹部は、「青木の理想像」は故佐藤栄作元首相の側近として「百術は一誠にしかず」と直言も辞さなかった故保利茂元衆院議長だという。この幹部は「当面、青木は首相を支えるだろうが、言うことを聞かずに小泉が暴走すれば刺し違える覚悟だ」と心境を明かす。
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小泉政権発足以来、「抵抗勢力に甘んじている橋本派の反転攻勢のきっかけとして想定されるのが、経済情勢のさらなる悪化だ。
衆院議運委員長の藤井孝男は小泉改革への危惧を率直に語る。
「構造改革は間違っていないが、小泉首相はF1レースのドライバーでスピードと巧みなハンドリングで観衆の拍手喝采を浴びている。だが、公道に出たら、ハンドルに十五度ぐらいの余裕がないと衝突してしまう」
七−九月期の国内総生産(GDP〉速報値がマイナス2.2%を記録するなど、来年前半は「景気」が最大の焦点になる。その時こそ、「政策のプロ集団」を自負する橋本派の出番というわけだ。
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「大蔵省(財務省)は首相の支持率にあぐらをかいて、自分の庭先掃除に明け暮れていることに怒りを禁じ得ない」
野中は十七日、旭川市内での講演で、財政出動を拒む財務省の姿勢を強く批判した。
橋本派は平成十四年度予算編成前に、政調会長・麻生太郎のまとめた「麻生ビジョン」と歩調を合わせる形で緊急提言「アクションプラン2002」を発表。
国債三十兆円枠とは別に十兆円規模の「構造改革推進ファンド(仮称)」の創設、贈与税、相続税の抜本改正などを打ち出した。
「財政収支だけつじつまを合わせる手法で森を見ない議論をしている」(橋本派幹部)ことへの反発を抱く経済産業省が「財務省主計局寄りの官邸に対抗して、麻生政調会長、橋本派に同じ球を投げた」(経産省幹部)といわれる。
財務省対経産省の対立構図の中で、「麻生を橋本派が推す総裁候補として担ぐ選択肢もあり得る」(江藤・亀井派幹部)との思惑も透けてみえる。
だが、両提案は小泉に一顧だにされず、来年度予算案はすんなり、党総務会で了承された。
政治評論家の屋山太郎はこう切って捨てる。「田中派時代の高度経済成長時代は族議員にとって、やることがいっぱいあった。しかし、成熟社会を迎え、橋本派が担った役割は終わりへ存在意義ばなくなった。選手交代の時期が来た」
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永田町では、野中の「側近中の側近」といわれてきた鈴木宗男が、野中と距離を置き始めたとの情報が駆け巡っている。
それを伝え聞いた野中は周囲に苦笑して言った。「鈴木には離れろと言ってある。いつまでもおれについているように思われたらだめだからな」
田中角栄からの「世代交代」を錦の御旗として発足した竹下派を継承した橋本派は今、皮肉なことに「世代交代」が最大の課題となった。