週刊新藤 第296号WEB版 <在職25年表彰を受けて>です。ぜひご覧になってください。

 令和5年5月30日、衆議院本会議において衆議院議員在職25年の表彰を賜りました。
 身に余る光栄であり、私を育て、支えていただいた郷土・埼玉、川口で行動を共にしてくれた同志、後援会や事務局、多くの支援者の皆さま、家族、そして常に献身的に尽くしてくれている事務所スタッフのおかげ様と、心より感謝申し上げ、ご報告させていただきます。

 衆議院事務局によると、明治23年の第1回総選挙から直近の令和3年10月の第49回総選挙までに当選した衆議院議員は6,738人。(複数回当選した議員は1回としてカウント)帝国議会以降、衆議院で永年在職議員表彰を受けた議員数は、私で453人目であり、その割合は、約6.7%ということです。
 改めて、25年在職することの重みと、表彰を受ける光栄に感じ入った次第です。
以下は、本会議場にての私の発言です。(一部補筆)

 私は平成8年、38歳で、小選挙区制となった総選挙に立候補し、地元川口市から29年振りの衆議院議員となりました。
外交・安全保障、領土・主権、経済成長、地域活性化など、国民生活の安定と繁栄、国際社会からの信頼と貢献を追求し、国家の基本問題にたずさわってまいりました。

 議員として、初の出張は、北方領土・択捉島に行き、島民集会を行いました。
竹島問題では韓国から入国拒否者第1号となり、金浦空港にはデモ隊が1,000人集まり、私の顔写真が無残にも焼き払われたこともありました。
尖閣諸島には、国会議員として戦後2番目となる船による接近を果たしています。
「顔の見える国際貢献」や、北朝鮮に対する「対話と圧力」のワーディング、我が国の国際支援物資に貼る「From the people of Japan」のステッカーを発案しました。
 外務政務官時代には、戦争終結直後のアフガニスタン・カブールやイラク・バクダッドを訪問したり、ロシアと交渉し、ウラジオストックに浮かぶ旧ソ連の退役原子力潜水艦の非核化事業を実現することができました。
 私が提案した、我が国初となる「領土担当大臣」の創設と、「領土・主権展示館」の開設は、大きな喜びとするところです。
 また、硫黄島の日米合同慰霊祭を毎年開催し、戦没者の追悼とご遺骨の収容帰還事業をライフワークにしております。

 国会活動の苦い思い出は、3回目の選挙で苦杯をなめたことです。
「手のひら返し」も体験しましたが、「こんなことになるなら」と、多くの人が集まってくれました。
 一から選挙態勢を立て直し、幸運にも1年7か月後の解散総選挙で、小選挙区で勝利し、国会に戻ることができたのです。
 その次の、自民党が大敗し政権交代となる選挙で、何とか議席を維持できたのは、あの時の苦しい経験があったから、と感謝しております。

 2012年12月、我々は総選挙に勝利し、私は第二次安倍内閣で、総務大臣、地方分権改革、地域活性化、道州制、郵政民営化の各担当大臣を拝命し、翌年には初代の国家戦略特区担当大臣に就任しました。
 2014年9月に退任するまで、「日本を取り戻す」、この言葉を胸に、全精力を傾注し、国務に邁進しました。
組閣前夜、クリスマスの夜の一本の電話から、生涯忘れることのない言葉をいただいております。
「安倍晋三です。新藤さん、総務大臣をお願いします。一緒に日本の歴史を創ろう!」。
熱い言葉に身体がしびれました。
 凶弾に倒れた安倍晋三・元総理を偲ぶと共に、その遺志を引き継いでいくことを、心に誓っています。

 総務大臣としては、「地域の元気の塊で、日本の元気を創る」ことをミッションに、自治、テレコム、統計・行政管理部門を有機的に連携させることを第一に、様々な新しい取り組みを行いました。
まずは地域の元気創造本部を立ち上げ、安倍内閣が打ち出す「地方創生」の原型を作りました。
 まちづくりとICTをかけ合わせ、デジタル技術を活用し地域課題を解決する施策を創造することを目標に掲げ、「地域おこし協力隊」の抜本拡充や、現在のDXやデジタル田園都市国家構想につながる政策の橋渡しをさせていただきました。
 情報通信分野では「ボイストラ」という多言語音声翻訳ソフトの開発を強化したり、地デジ日本方式の世界展開を目指し南西アジアやアフリカとの交渉を成功させました。また、日本独自の郵便ネットワークシステムを初めてミャンマーに提供したり、行政相談員制度を初めてベトナムに提供するなど、国際化にも努めました。

 閣僚退任後は、政調会長代理・代行として8年間、党の政策立案・調整を行っています。領土特命委員長、安全保障と土地委員長、G空間社会実装委員長、宇宙・海洋開発特別委員長、デジタル田園都市国家推進委員長、など、日々、様々な政策の取りまとめを行っております。
 国会では、3年前より裁判官訴追委員長となり、戦後初となるSNS投稿を続ける現職裁判官を訴追し、現在、弾劾裁判中です。
 そして、5年前よりは、衆議院の憲法審査会・与党筆頭幹事として、毎週、厳しい野党協議を行いながら、議論を積み重ねています。併せて、党の憲法改正実現本部・事務総長として、国民対話集会を推進し、憲法改正実現に向けた取り組みを加速させています。

 最後に、私がここにいられるのは、今は亡き両親をはじめ、ご先祖のおかげ様であり、厳しい政治の世界で、へこたれず、生きる力を与えてくれているのは、愛する妻、子どもたち、かけがえのない大切な家族がいてくれるからです。いつもそばにいてくれて、本当にありがとう。

 今、世界は大きな分岐点に立っています。日本は困難を乗り越え、明るい未来に向けた「新しい国づくり」を思い切って進めていかなくてはなりません。「保守したくば、革新せよ」
これからも自らに与えられた役割を全うすべく、精魂を込め、務めを果たしてまいる所存であります。
 この度は誠にありがとうございました。