週刊新藤第265号 自由民主党 立党60周年を迎えて

◆自由民主党 立党60周年を迎えて

11月29日、自由民主党 立党60周年記念式典に出席しました。自由民主党は昭和30年11月15日、自由党と日本民主党によるいわゆる「保守合同」により結成されました。これを受け全国各地に自民党県連や地域支部結成の気運が起こり、私の地元である川口市でも、昭和31年6月10日、自由民主党川口支部が結成されました。

自由民主党立党の原点は、結党時の党綱領にある「自主独立の完成」であり、政策の基本方針は「現行憲法の自主的改正」です。家族を守り、郷土を愛し、誰もが平等でがんばった人が報われる社会と、平和と自由を希求し世界に貢献する国家を創ることを党是にしています。

そして結党以来60年のうち野党時代の4年2か月を除く長期間、政権与党として国家運営を主導し、安倍首相を含め22人の首相を輩出してきました。今後も先人たちが築き上げてきたものをしっかりと引き継ぎ、更なる発展に向けて行動してまいります。どうぞご理解とご支援の程よろしくお願い申し上げます。


◆創生「日本」東京研修会で挨拶

11月28日、東京のホテルで安倍総理大臣を会長とする「創生日本」の研修会が開かれました。冒頭、副会長を務める私からもご挨拶させていただきました。
「創生日本」は自民党が野党になった2010年2月、それまでの真・保守政策研究会を母体に名称を変え、新たに地方議員や一般の会員を募り発足いたしました。

自民党を立て直すと共に、経済の疲弊から国力が減退し大混乱に陥っていた日本を、もう一度元気にするために志を同じくする仲間が集まった政策集団です。
「創生日本」でまとめた政策は、その後の自民党総裁選挙や政権奪還となった衆議院選挙の公約の基礎となっています。

私たちが目指す政策の行きつくところは、国家の基本法規となる憲法の在り方を問うことです。我が国憲法は来年、制定から70年の節目を迎えます。

まずは一億総活躍や地方創生などの政策総動員により経済を成長させ、安心と希望の持てる国民生活を実現させなければなりません。その上で憲法改正など、「次の日本のあるべきかたち」について国民的議論を行い、次の世代に引き渡せる日本を創生するのです。これが「創生日本」の大いなる役割ではないか、との想いを皆さまに訴えました。

櫻井よしこさんと小川榮太郎さんの意義深い講演の後、懇親会には、安倍総理も到着し会場大いに盛り上がり、全国からの参加者と楽しい交流の時を過ごしました。


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◆「創生日本」こぼれ話 -「のぼりのデザインは新藤が !?」-

研修会後の懇親会で、会長である安倍総理が挨拶冒頭で「会場に立てた幟を見て、これを見ると設立の頃を思い出し気合が入る、新藤さんが提案して作ってくれたんですよ。」という話をしてくれました。私は、総理が覚えてくれていたことに驚き、とても嬉しくなりました。

2009年の秋が深まった頃、私たちは数人の同志が集まり、安倍晋三さんを中心に、野党となった自民党を立て直すために保守政策を基軸とした新たな政策勉強会を立ち上がる相談を始めました。会の基本政策方針をどのようにするかという議論を皮切りに、会の名称や組織構成など様々な相談を重ねておりました。

私は話し合いの中で、「創生日本」という名前が決まった後に、活動をシンボライズするマークを作った方が良い、ホームページや会報、幟などを統一したデザインで展開してはどうか、と進言しました。それなら新藤さんにまかせるよ、ということになり、私は懇意にしているデザイナーに依頼して提案したのがこのマークなのです。

いくつかのデザインの中で、丸の上部から新しいものが生まれ出るイメージは、まさに「創生日本」を表していると、当時の安倍会長が気に入ってくれ採用されました。

実はこの日の冒頭の自分の挨拶でも、幟を見て当時の気合いを思い出す、とは言ったのですが、デザインのことはあえて触れませんでした。しかし、「創生日本」の設立集会やその後の全国遊説(ちなみに東京から地方に出た第一回街頭演説会は、私の地元・川口駅前のキュポラ広場で行いました。)などで使用した幟を見れば、当時の自分たちが置かれていた厳しい状況と、なんとかそれを打開しようとした緊張感と使命感がないまぜになった気持ちがまざまざと思い出されます。

まさか安倍総理も幟を見て当時を思い出し、私と同じような想いを抱き、デザインのことまでふれてくれるとは思ってもおらず、私にとってはまさに望外の喜びなのです。
内輪話で恐縮ですが、ご容赦のほどよろしくお願いします。


◆日本国憲法の改正を考える(新藤義孝作成パネル)

・(パネル)日本国憲法の改正を考える PDF版

 


新 藤 義 孝