【動画】硫黄島「日米合同慰霊追悼顕彰式」(日米再会の碑)、「戦没者慰霊追悼式」(天山慰霊碑前) (2015年3月21日)

3月21日、私は硫黄島を訪問し、「日米再会の碑」前で行われた「日米合同慰霊追悼顕彰式」及び、日本の戦没者を追悼する天山慰霊碑前での「硫黄島・戦没者慰霊追悼式」に出席しました。

午前中の「日米合同慰霊追悼顕彰式」では、不思議なことがありました。
式典が始まると同時に突然強い雨が降り始めたのです。テントから滴れるしずくで服が濡れてしまうほどの雨に、どうなることかと心配してる間に、突然雨があがり、今度は太陽が照りつけ、青空が広がりました。まるで、誰かが打ち水をしてくれたかのように会場は清められたのです。

式典では日米双方から挨拶があり、日本側では中谷防衛大臣と塩崎厚労大臣のお二人から、閣僚として初となる挨拶をいただきました。私も戦没者遺族代表として、挨拶をさせていただきました。

また、今回は初めて式典の最後に日米双方の歌手により、「アメイジンググレイス」「ふるさと」が歌われました。英霊の皆様が抱いたであろう望郷の念に想いを馳せ、私は溢れる涙を押さえられませんでした。戦後70年の節目を迎えた硫黄島で、両国関係者による素晴らしい日米合同の式典が出来たことを感謝しております。

式典が終わると、どちらからともなく歩み寄り、互いの無事と再会を喜びあう沢山の輪が出来ました。
まずは先月、ワシントンで懇談した米国硫黄島協会の友人達と再会を喜びあいました。
スノードン名誉会長(海兵隊退役中将)は94歳であり、今年が硫黄島での最後の参加になるとのこと。彼の息子さんとお孫さんを紹介され、今後を託されました。

米国側の様々な方々が私に話しかけてくれましたが、戦闘時に17歳だったという生還者の方は私に歩み寄り、「あなたのお祖父さんは立派だった。孫のあなたに会えて嬉しい。」といって記念のメダルを私の手の中にそっと贈ってくれました。私はお礼を言いつつ「あなたは自分の役割を果たした。元気でいてくれて本当に良かった。」と心を込めて手を握り返しました。

70年前、地獄の戦場でどんなことがあったのか、それは私の理解を超えています。しかし、目の前の87歳になるであろう深いシワが刻み込まれた優しい顔の米国人を見て、怨讐を超え、命の大切さや与えられた人生を全うすることに深い感慨を覚えました。



【動画】新藤義孝「70年目の 硫黄島ー慰霊編ー」



出発前の羽田空港ロビーにて。
塩崎 恭久 厚労大臣、逢沢 一郎 硫黄島懇話会会長と共に。



左より、寺本硫黄島協会会長、逢沢硫黄島懇話会会長、私、中山外務副大臣、中谷防衛大臣、その隣に塩崎厚労大臣が並ぶ。



硫黄島戦闘の生還者である、米国硫黄島協会 スノーデン名誉会長(海兵隊退役中将)は、94歳。



日本の戦没者を追悼する天山慰霊碑前での「硫黄島・戦没者慰霊追悼式」



硫黄島を共に訪れた、国会議員団と共に。