第122号 映画「硫黄島からの手紙」公開に寄せて



◆おじいさんに会えた

 クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」が、いよいよ今月9日から一般公開されました。これに先立って私たち遺族・関係者は試写会に招待されました。どんな映画になっているのか、期待と心配が入り混じったなんとも言えない想いで映画を観させていただきました。
 映画が終わりしばらくの間、私は言葉を出すことが出来ませんでした。自分が生まれる前に亡くなったおじいさんに初めて逢えた、という懐かしい想いと、戦争はなんとむごく悲しいものであるかということを改めて思い知らされ、あふれ出る涙を抑えることができませんでした。
 驚いたことに映画の最後にエンドロールが流れると観客の中から拍手が起こり、会場いっぱいに拡がっていきました。私は映画のスクリーンに向かって拍手が
起きたことを今まで見たことがありません。61年前に日本人が本当にがんばってくれた、私たち家族を守るために必死に役目を果たそうとしてくれた、その人
間の生き様に会場のすべての人が同じ気持ちで手を叩いてくれたのではないかと感じました。

 この映画は監督や俳優、制作の皆さんが魂をこめてつくったくれた映画だと私は思っています。昨年4月に会談した際に、イーストウッド監督は「戦争は若者の未来を奪うむごい愚かなことだ。しかし家族や大切なものを守るために犠牲となった人たちのことを我々は尊敬し、絶対に忘れてはならない。そのことを世界中の人に知らせたい」と語ってくれました。
 私の祖父、栗林忠道役の渡辺 謙さんも、撮影期間中ずっと、私がお渡しした栗林が家族に宛てた手紙の原文を毎晩読んで撮影に臨んだと教えてくれました。渡辺
謙さんは、撮影前と撮影終了時、そして映画の完成報告にと三度も長野県松代の明徳寺にある栗林の墓に参じて下さいました。その役にかける意気込みと真摯な姿に私も心を打たれ、僭越ながら私の知る限りの栗林の情報をお伝えしたつもりです。


◆ 映画「硫黄島からの手紙」

 この映画は、硫黄島戦を日米双方の視点から描く2部作の「父親たちの星条旗」に続く第2弾であり、アメリカを最も苦しめた指揮官として知られる栗林忠道中将が、妻の義井や娘である私の母たか子に宛てた手紙を元にした作品です。
 日本にとって本土防衛の最後の砦として、死を覚悟しながらも一日でも長く硫黄島を守り、ひいては本土決戦を防ぐために戦い続けた栗林を始めとする兵士たちの悲壮な姿が描かれています。
 
栗林は若い頃にアメリカに留学し、圧倒的な国力差から戦争には賛成していませんでした。しかし、軍部は開戦派が力を持ち、栗林は冷遇され、戦況が悪化の一
途をたどる昭和19年6月、硫黄島へ司令官として着任したのです。そして栗林は、それまでの日本軍の戦い方を180度転換させ、この島を長く持ちこたえる
ことが本土空襲を食い止め、国を守り、残してきた家族を守ることだといって、島中にトンネルを掘ってゲリラ戦法で戦い抜きました。
 戦場では徹底したリアリストだった栗林は、一方で人間味溢れる手紙を家族に送っています。
 映画の冒頭でも、上官の理不尽な体罰に苦しめられていた若い兵士を栗林が救うシーンがあります。合理的思考とヒューマニズムを併せ持ち、過酷な戦場において自分を見失なうことなく信念を貫いた姿を、私はこれまでも自分の内なる誇りとしてきました。
 2万余の硫黄島守備隊に対し、米軍はその7倍以上もの兵力を投入します。絶対に勝てるはずのない戦いに、兵士たちはどんな想いで立ち向かっていったのか。
 苦しくても逃げずに踏みとどまり、大切なものを守るために最後まで全力でがんばり続ける。硫黄島のシンボル的存在である摺鉢山が攻略され、いよいよ戦局が絶望的な状況となっても、栗林は兵士たちに自決を禁じ、苦しくとも玉砕するなと指示します。
 61年前に、死ぬよりも苦しい生を生きた私たちの祖先の葛藤と生き様が、まざまざと映画に描かれています。


◆ 祖父・栗林忠道の想い

 映画にもありますが、昭和20年3月17日いよいよ最後の攻撃を行うにあたり栗林は訓辞を述べます。
 「いま日本は戦いに敗れたといえども、日本国民は諸君の勲功をたたえ、諸君の霊に対し涙して、黙祷を捧げる日がいつかは来るであろう。安んじて国に殉じよう。予は常に諸子の先頭に在り」
 そして、還らぬ人となりました。今、硫黄島は61年間時間の止まった島です。南海の青い海と空、緑に囲まれた楽園のような風景のなかに、戦死した約2万
1千人の方のうち遺骨収集が終わっているのは約8千人強のみであり、実に6割の遺骨がまだ残されたままです。東京都小笠原村の小さな島で、いまだ故郷に還
れぬ英霊が眠り続けているのです。私はこれまで硫黄島協会の皆さんと共に遺骨収集と慰霊事業を続けて参りました。ご遺骨が一人残らず家族のもとに還れるま
で硫黄島の戦いは終わっていないのです。
 遺骨収集を完了し、この島を多くの人が訪れる慰霊の島にすること。それが私のライフワークです。そして、このような壮絶な苦しい戦いがあって、今の平和
があるということを、私たちは次の世代に伝えていかなければなりません。過去の戦争に蓋をせず、しっかりと事実を受け止め、二度と悲惨な戦争を行わないと
いうことが、貴い犠牲となった英霊に報いることだと思っています。

新 藤 義 孝