第120号 顕在化するいじめ問題を考える ~いじめをなくすためには~



 いじめを苦に子どもが自ら命を絶ってしまうという痛ましい事件が相次いでいます。いたいけな子どもが自らの手で己を殺める。そんな悲惨で悲しい出来事
は、本来決してあってはならないことです。かけがえのない命の灯をどうか消さないで欲しい。そうした犠牲者を出さないようにするにはどうすればよいのか。
どうしたらいじめはなくなるのか。子どもをお預かりしている現職の幼稚園長として、子育てに関わっている者として、何とか有効な手立てはないものか悲痛な
思いで頭を悩ませています。


◆ 顕在化するいじめ問題

 いじめは昭和50年代頃から大きな社会問題となり、いじめによる自殺が多発した年もありました。しかし近年、統計上はいじめは減少していると言われてき
ました。文部科学省の調査によると、昨年度の公立小中高校のいじめ発生件数は20,143件で、ピークであった平成7年(60,096件)に比しておよそ
3分の1に減ったことになっています。また、平成10年から昨年まで7年間連続でいじめによる自殺はないということになっていました。
 しかし現行の調査方法では、公立の小中学校が自殺などの件数を教育委員会に報告する際、その原因の記入欄が「いじめ」の他「学業不振」など15項目に分
かれており、昨年度は105件の原因のうち60%が「その他」となっていました。また都道府県によっていじめの報告件数に著しい差があるなど、自治体の判
断基準が異なっていることも問題です。
 国会でも様々な議論が飛び交っています。苦しんでいる子どものサインを見逃さないよう、どうしたら自殺を食い止められるか、その方策を懸命に話し合っています。


◆ この国の教育システム上の問題点

 教育委員会制度の改革を求める声があがっています。都道府県や市町村の教育委員会はいじめの実態を把握し、機敏に対応する必要があるにもかかわらず、ほ
とんど機能しなかったためです。教育委員会改革は教育基本法改正案の審議や、安倍総理直属の教育再生会議でも焦点のひとつとなっています。
 学習指導要領を定めているのは文部科学省で、公立学校の設置・運営をしているのは都道府県教育委員会ですが、実際に教育を行っているのは現場の学校長は
じめ教師です。国で決めたことはあくまで方針であって、その方針に沿った教育がなされるかどうかは教育の現場にゆだねられています。それが、隠蔽体質にも
繋がっているのです。その顕著な例が、最近世間を騒がせた高校の必修科目未履修問題です。学校長、教育委員会、文部科学省などの責任があいまいになってし
まい、そのしわ寄せが子どもたちに重い負担となってのしかかってしまいました。


◆ いじめを見過ごすクラスメートたち

 いじめ問題が表面化すると、マスコミ等は、悪いのは誰なのか犯人捜しを始めます。いじめた加害者、担任の先生、校長、そして子の親と責任が問われていきます。
 しかし私はそこに、重要な関係者を見落としているのではと感じずにはいられません。それはいじめがあったにもかかわらず、無関心を決め込んで見過ごした
クラスメートたちです。同じ教室内でいじめが行われていたら、クラス全体でその問題を考えていかなければなりません。しかし、自分は加担していないから関
係ないという理屈で、見て見ぬふりをしていた子たちこそが問題だと思います。これは、「個人の自由」のはき違えに他なりません。
 文部科学省の調査によれば、クラスのいじめに対して「できるだけ関わらないようにした」と答えた子が4~5割おり、傍観者的な態度をとる子どもが相当数
に上っていることがわかります。いじめに関わらないようにした子どもの考え方として、「他人のことにはあまり口出ししないほうがいい」と答えた割合が全体
と比較して高くなっています。


◆ いじめ問題から考える教育基本法

 現行の教育基本法は、昭和22年に戦後の教育の基本を確立するためにつくられた、いわば「教育の憲法」です。「個人の尊厳」の尊重などの教育の基本理念を規定するとともに、教育の機会均等や義務教育の無償などを規定し、戦後の教育の普及と水準の向上に寄与してきました。
 しかし一方で、個人の自由や個性が強調されるのに対し、規律や責任、他人との協調や社会への貢献など道徳心や公共心を育むことはともすれば軽んじられてきました。
 その結果が、子どもたちのいじめに対する無関心さをもたらしているのだとすれば、教育基本法の改正は喫緊の重要課題です。助け合いや相互扶助の精神を盛
り込み、個人の成長と合わせて規範と社会性を持った人間を育てていくことが大切です。そして、いじめ問題に関しては、クラスの子たちが自分たちで解決して
いけるよう指導していくべきです。


◆ 子どもの声を受け止める社会を

 この原稿を書いているときにも、いじめによる自殺予告とみられる手紙が政府に届いています。友だちや先生、親にも頼れず、一人で苦しんでいる子どもの悲
痛な叫びが聞こえてきます。人間は決して一人ではありません。自分を見ていてくれる誰かが必ずいるはずです。苦しみに追い込まれたとき、もう一度自分のま
わりを見まわして欲しいと思います。また、私たちも社会全体でその声を受け止めなければなりません。
 私はこの度、自民党の教育再生に関する特命委員会の幹事に就任いたしました。今を生きる子どもたちのために、教育改革は待ったなしです。子どもたちを見守る社会づくりに向けてこの問題に一層取り組んで参ります。

新 藤 義 孝