第94号 品格ある国家をつくるには


 昨年から今年にかけて、今の社会を取り巻く象徴的な出来事が立て続けに生じています。
 いわゆる「4点セット」と言われる耐震強度偽装問題やライブドア事件、米国産牛肉輸入問題、防衛施設庁を巡る官製談合問題などの不祥事が相次いで発覚し、小泉内閣の政権運営を揺るがすことになりました。
 ところが、民主党が、出所不明の信ぴょう性のないメール問題を予算委員会や党首討論の場で取り上げ、国政が大混乱となりました。その後の迷走ぶりは皆様もよくご存じのことでしょう。
 2月28日、民主党は「メールは本物ではない」として謝罪。永田議員を6カ月の党員資格停止処分とするとともに、永田議員の説明を鵜呑みにした国会対応
の責任を取るとして野田国対委員長が辞任しました。しかしながら、同日、党声明発表に先立って行われた当の永田議員の謝罪会見では、メールの真偽について
はまだ事実確認の余地があると述べ、歯切れの悪い内容に終始していました。国会議員には、院内での発言には責任を問われないという免責特権があります。し
かし、だからこそ、議員の国会での発言というものは、しっかりとした調査と情報分析に基づいたものでなくてはならず、その責任も重いものだという自覚が必
要なのです。
 この問題にはっきりとした決着をつけない限り、今後国会の場で、野党の政府追及を国民が信用できなくなってしまうのは自明のことです。野党が国民の信用を失えば、国会の議論そのものも信用を失ってしまうことになりかねません。
 民主党は単なる謝罪に終始することなく、自らの党とさらには国政運営に与える将来の影響を考えてこの問題を収束させ、そして私たち全ての国会議員は、一刻も早く国会を本来の政策論争の場に戻さなければなりません。


◆ 今こそ思う 「富国有徳」という理念

 こうした相次ぐ不祥事を目の当たりにする中、私が思い起こすのは、庶民宰相として国民に親しまれた故小渕恵三総理大臣の「富国有徳」という理念です。
 8年前に就任した小渕総理は、経済や物の繁栄ばかりを追求するのではなく、心の問題や志の問題を考える時期なのではないか、ということをたびたび訴えて
いました。私欲にとらわれずに、世の中のために役立とうという志を持って多くの人が活躍するような社会の実現を目指していたのです。
 一連の不祥事の根本に共通しているのは、「法に触れさえしなければ、何をやってもいい」「法に触れていても、
バレなければいい」「自分さえよければいい」というようなモラルの欠如したご都合主義です。いずれも非常に優秀な方々なのにもかかわらず、自己の利益拡大
のみに腐心したり、目的と手段をはき違えた志ない行為に傾倒した結果であり、なぜその能力を公共に資する方向へ向けられなかったのか。私はそう思うと残念
でなりません。


◆ 「品格のある国家」をつくるには

「国家の品格」という本がベストセラーになっています。多くの人にそれが読まれるというのは、私たちの国が品格を失ってしまっていることの裏返しであり、品格ある国家への強い憧憬をもっているからに他ならないと感じます。
 経済拡大を目指してきた改革が成功しつつある今、私たちの国が今後更なる発展を遂げるには、国が品格を取り戻すことができるかどうかにかかっているのだと思います。
 いかに経済的に豊かであっても、国としての品格がなければ国際社会において尊敬されることも、発言力や信用が高まることもありません。
 国家の最大の責務は国民の生命と身体の安全を守り、領土・領海を守ることにあります。しかしこれは自国一国だけで成しえることではありません。周囲の国との信頼を醸成し、周辺諸国との安全保障体制を整えていかなくてはならないのです。
 GDP比で世界第2位の経済大国となったにもかかわらず、現代日本の国際社会における存在感はそれに見合うだけのものはありません。それは何よりも、現代の日本と私たちに、経済至上主義を超えた精神的な規範が欠けていることによるものだと思われてなりません。
 19世紀初頭にイギリスのサミュエル・スマイルズが書いた「品性論」という本の中に、「国としての品格は、その国民が自分は偉大なる民族に属するのだと
いう感情から、その支持と力をえるものである。先祖の偉大さを受け継ぎ、先祖の遂げた栄光を永続させるべきだという風土がその国に出来上がったときに、国
家としての品格が高まる」という一節があります。
 国家の品格は、この国をつくってきた先人を敬う心から始まり、自国を愛し、自分の国に誇りを持てる人たちが数多く育っていくことから生じます。品格のあ
る国をつくるためには、正しい歴史観とそれに基づく教育が必要なのです。私が以前から訴えている教育基本法改正についての議論の中で、焦点のひとつに「愛
国心」の取り扱いについてがあります。「国を愛する心」という表現を盛り込むべきか、それとも「国を大切にする心」とするべきか。これについては、私が信
頼する安倍晋三官房長官が明確な答えを出しています。「国を愛することが目的なのであり、大切にするというのはその手段である」のだと。
 経済の繁栄は、本来私たちが生きていくための手段に過ぎなかったはずです。一連の不祥事は、目的をはき違えて手段を最優先してしまったことにあるのです。
 私は、我が国が、国民が誇りを感ずることができるような品格ある国となるよう全力をあげて国政に取り組んで参ります。

新 藤 義 孝