第95号 「信頼」と「不信」はどちらが「得」か? 「囚人のジレンマ」論

信頼に基づく交渉は外交の要諦。3月7日、イギリス保守党の影の国防大臣フォックス
下院議員と中国問題や安全保障政策について突っ込んだ対談を行いました。

 今月6日・7日両日にわたって行われた東シナ海ガス田に関する日中政府間協議の内容は、私にとっても強い不満を抱かせるものでした。
 ガス田の共同開発について、中国側は、前回の協議で日本が示した日中中間線付近とする案を受け入れず、新たに尖閣諸島周辺の海域と東シナ海北部の2カ所
を対象にすることを提示。また、日本側は、共同開発の合意が得られるまでは日中中間線にまたがるガス田の開発作業中止を求めていましたが、それも応じられ
ないままでした。
 日本側海域での共同開発案は、日中境界線画定に向けての進出意図なのか、あるいは協議を引き延ばすための時間稼ぎの駆け引きなのか。日本の中国への不信感はますます深まってしまったと言えるでしょう。
 そもそも4回目となる今回の協議は昨年10月に開かれるはずでしたが、同月に行われた総理の靖国神社参拝に対する批判を盾に中国がここまでずれ込ませてきたものです。
 中国の李外相は7日の記者会見で、「戦後、ドイツの指導者の中にヒトラーやナチスを崇拝する人はいない」と語り、総理の靖国神社参拝を激しく非難。先月
後半に中川政調会長が訪中した際にも、中国側は「日中関係の改善には靖国神社問題の解決が前提となる」という立場を強調しました。
 外交は、国家間の信頼があってこそ成立するもの。靖国神社を参拝するなら他の交渉にも応じられない-そうした中国側の姿勢は、不信感を生むのに充分です。
 さて、こうした不信感を残したまま、日本側が譲歩しさえすれば果たして両国の関係改善につながるものでしょうか。ちょっとここで、ある有名なたとえ話をしてみます。どうぞご一緒に考えてみて下さい。


◆ 囚人のジレンマ

 経済学や社会学などで使われるゲーム理論の中で「囚人のジレンマ」と考え方があります。
 とある事件で、共犯者だと思われる2人の容疑者が逮捕されました。2人は隔離され別々に取り調べが行われましたが、決定的な証拠はつかめないままでした。そこで当局は、2人の容疑者それぞれに次のような取引を持ちかけました。
「このままお前も相棒も黙秘を続けた場合は、証拠不十分で2人とも懲役2年だ。しかし、もしお前が自白するなら、相棒を15年の刑とするかわりに、お前を1年の刑としてやろう」
 ここまでならうまい話と言えますが、条件は更に続きます。
「ただし、もし、お前も相棒も自白した場合、双方とも懲役10年だ」
 2人は別々に独房に入れられていて、相談することは不可能です。
 さて、あなたならどうしますか。
 あなたにとって最も刑が軽いのは自分だけが自白すること(1年の刑)。次に2人とも黙秘すること(2年)。その次は2人とも自白すること(10年)。最も重いのは自分は黙秘を続け、相手に自白されることです(15年)。

 あなたは相棒の動きを予想して、自白すべきか黙秘するのがいいか悩むことになります。もし相棒が自白をするとしたら、あなたも自白をした方が得です。ま
た、相棒が黙秘をするとしても、あなたは自白をする方が得することになります。結局あなたは、相棒が自白しようとしまいと自白をした方が得だという考えに
到りました。
 そして当然のごとく相棒も同じことを思いつき、結局2人とも自白をしてそれぞれ懲役10年という結果になってしまいました。
 しかし、2人とも黙秘を続けていれば、それぞれ2年の刑で済んだのに。懸命に頭をひねったあげくに、2人あわせれ考えてみれば20年の刑という一番重い結果になってしまったのは何故でしょう?

 これは、相互に交流がなく信頼関係もない状態で、個人が自分だけの損得勘定で行動すると、全体として最悪の状況をもたらすことがあるというお話です。


◆ 日中間のジレンマ

 もちろん日中間の案件は複雑で多岐にわたり、こんなたとえ話で解決できるほど単純にはいきません。
 しかし、相手を牽制し、自国がさらに悪い状態に陥ってしまわないように主張し合う結果、お互いに強い不信感をつくってしまっている現状は、まさに「外交のジレンマ」です。
 外交の場では、自国の国益・国民の利益が損なわれてはならないのは当然ですが、他国との信頼関係を築かずに自国の利益を優先させようとしても、それは逆の結果を生みかねません。
 利己的な行動が自分にとってもよい結果につながらないというのは、個人間だけでなく、国同士の外交についても同様です。
 お互いの不信感を前提とした、主張の応酬ではなく、相手の立場を理解した上で信頼に基づく交渉を進めることが何よりも求められていると思います。

新 藤 義 孝