第58号 5/22 川口市長選・市議補欠選挙    ~ この度の選挙を振り返って



◆ 低迷し続ける投票率 ◆

 任期満了に伴う川口市長選挙、及び現職市議死去に伴う市議補欠選挙が、5月22日に投開票されました。
 当日有権者数は380,014人投票率は31.67%。同市長選における投票率は、前回の34.43%、そして最も低かった平成9年の34.37%をも下回り、過去最低を更新する結果となってしまいました。

 参考までに、今年埼玉県内で実施された市長選挙の投票率を調べてみると、吉田町・荒川村・大滝村を合併した 新「秩父市」の初代市長選挙を除き、軒並み驚くほどの低投票率です。

 政治に携わる者として、これは非常に残念な結果であり、しかも由々しき問題であると言わざるを得ません。3分の2もの有権者が棄権をしてしまうという実態を厳しく受け止める必要があります。

 言うまでもなく、民主国家において主権者は国民であり、政治家は、民意によって選出された代弁者にすぎません。
 日本という国の、そして私たちが住むこの街の舵取りをするのは私たち自身であって、政治や行政は、その実行者にすぎません。そして、その民主政治の根拠となるのが選挙であるはずです。
 私たちは、自分の暮らしに対する期待や不満を投票行為によって示すべきです。


◆ 投票を棄権する危険性 ◆

「そうは言っても自分の一票では何も変わらないから…」「無能な政治家ばかりで、誰を選んでも大差ない」「自分は、投票に行かないことで政治家に抗議をしている」選挙を棄権する方たちがよく言うセリフです。

 しかし、棄権票が増えるほど、選挙は投票した一部の組織や集団の意向が強くなってしまい、一般の国民の意見は軽視されていきます。投票しない人たちの意
見は届かないのです。「有権者は寝ていてくれた方がいい」という失言をした政治家がおりましたが、まさに選挙が一部の人々のパワーゲームに成り下がってし
まっていること、少なくとも一部の政治家がそう認識していることを露呈したものだと思います。
 選挙権とは、こうした権力の独占や偏向を防ぐために、民主的な権力を維持するために、私たちが勝ち得た強力な手段です。

 私は政治を志して以来常々、選挙とは何かということを考えてまいりました。選挙とは、「行って下さい」とお願いするようなものではなく、有権者が行使すべき当然の権利でなければならないのです。


◆ 権利は決してタダではない ◆

 
日本人が長い間タダで手に入ると思っていた「水」と「安全」も、今では相応のコストがかかるものになってしまいました。その一方で、先人たちが命懸けで獲
得した「権利」は、現在ではタダ同然に「存在するのが当たり前」なものであり、「それを使うも使わないも個人の勝手」であると見なされています。

 わが国で、納税額による制限選挙が廃止され、男子普通選挙が実施されたのが大正14年。そして、第二次大戦後にようやく婦人参政権がみとめられ、全ての日本国民が平等に選挙権を得ることができたのです。

 現在でも、例えばイラクやアフガニスタンなどでは、他者に圧力をかけられることのない自由で公正な民主的選挙の実現を目指し、文字通り闘争が繰り広げら
れています(イラクでは今年1月に国民議会選挙が実施されましたが、選挙に反対する勢力による、投票を妨害するため自爆テロや、選挙後に女性議員が射殺さ
れた事件が報じられたのは、記憶に新しいところです)。

 参政権の中でも最も重要な選挙権の獲得には、先人たちの血と汗の長い歴史が込められているのです。


◆ 1票の持つ力を信じて ◆

 一方で、民主主義は衆愚政治を生みかねないという危惧を抱く方もいらっしゃいます。つまり、「投票率が高くなると、どうしても人気投票といった側面が強くなってしまう」という懸念です。
 確かにその可能性は否定できませんが、それを防ぐためにも、政治家がしっかりとした政策を打ち出し、有権者はその主張をしっかりと見極める必要があるのです。

 どうか皆さん、自分たちの納めた税金がきちんと使われているのかどうか、監視しましょう。自分たちの意思がきちんと行政に反映されているのか、確認しましょう。その審判がなされるのが、選挙なのです。

新 藤 義 孝