第45号 日本海の核汚染を防げ! ロシア退役原潜解体事業「希望の星プロジェクト」

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[日露非核化議連に出席]

 2月3日、自民党本部で開かれた日露非核化協力推進議員連盟(会長:野呂田芳成先生)に顧問として出席しました。ロシア退役原潜解体事業「希望の星」の進捗状況について外務省側より説明があり、私が外務大臣政務官時代に手がけたヴィクターⅢ級原潜の解体が完了したとの報告を受けるとともに、核汚染された退役原潜が日本海を始めとする環境に与える可能性についての質問をさせていただきました。同議連では政府方針として今後さらに5隻の解体作業について協力していくことなどを確認しました。

[希望の星プロジェクトとは?]

 冷戦終了後ロシアの軍事力は旧ソ連時代の約1/10に縮小され、多くの原子力潜水艦も退役しました。しかし、原子炉の非核化処理を伴う解体作業には巨額の予算が必要であり、日本海を挟んだ極東ロシア沿岸には当時41隻の退役原潜が未処理のまま海上に係留されていたのです。内36隻は自力浮上できず、海水による船体の腐食や浸水により過去3回爆発し、放射能漏れ事故を起こしています。さらに、ソ連時代に液体放射性物質を日本海に不法廃棄していた事実も明らかになり、大きな問題となりました。また、艦内の核物質が不法に持ち出されテロリストの手に渡る脅威も想定され、ロシア退役原潜の解体非核化問題は、国際社会にとって「今そこにある危機」となっていたのです。

 事態を憂慮した日本政府は、日本海の環境保全と核物質の拡散防止という観点から、1993年に約200億円を拠出しました。しかしロシア側が軍事上の機密を理由に情報を開示せず、原潜解体は10年間1隻も出来ないまま、日本が拠出した資金は約160億円が使われず国際機関にたな晒しになっていたのです。

 自民党の外務省改革委員時代にこの問題を指摘していた私は、2002年11月、外務省大臣政務官として戦後実に57年ぶりに日本政府の一員として初めて極東ロシアの軍港の町・ウラジオストクを訪問しました。昼間でも零下20度を超える厳寒の地で、原潜解体を実施する造船所を視察すると共に、現地の政府・軍関係者と膝詰めの談判を行い、場合によっては事業の廃止・資金の引き上げも辞さない覚悟で交渉を行いました。そして、現地関係者の熱い情熱と、事業が進まない理由が遠く離れたモスクワにあるロシア政府内部の問題であることを確認した私は、帰国後、川口外務大臣に状況を報告すると共に事態を打開する新提案を行いました。

 川口大臣の理解を得た上で、私はこの提案を実現させるため、内閣や自民党の有力者を個別に訪ね説明に当たりました。そして遂には小泉総理にこの提案が届き、了承されるに至ったのです。

 極東における原潜解体協力事業は、2003年1月プーチン大統領との首脳会談で採択された「日露行動計画」の中に実施が盛り込まれ、小泉総理によって「希望の星」プロジェクトと命名されました。(これは解体現場となる造船所の名、ズベェズダ=ロシア語で星という意味に因んだものであり、本当にうれしいことに私が提案させていただいたものなのです。)

 その後、日露両政府は「希望の星」の最初の事業として、ヴィクターⅢ級原潜1隻の解体に合意。その確認のために2003年6月、私は日本政府を代表して再度ウラジオストクを訪問し、この仕事を通してすっかり親しくなっていたロシアの友人たちと事業実施を喜び合いました。

 記念すべき第1号の解体を祝い、造船所内に桜の植樹も行いました。そして今後新しい解体が実施されるたびに1本ずつ桜を植えよう、と私たちは約束したのです。

[よき隣国となるために・・・]

 今から150年前、日露修好条約により日本は鎖国を解き、両国の交流が正式に始まりました。また、本年は日露戦争終結100年目の節目の年にもあたります。

 現在日本とロシアは隣国として新しい友好関係を創り出そうとあらゆる分野で協力関係を推し進めております。日露関係をさらに発展させるには北方領土問題の解決が不可欠ですが、そのためにも、政治・経済・文化等の交流を深め、両国国民が直接触れ合ってお互いを理解しあうことが何よりも有効です。

 この「希望の星」プロジェクトは極東地域の環境保全や核の脅威を取り除き、互いの友情と信頼のために役立つものと大いに期待しております。また、私も外務省の一員として並行して交渉を進めてきたシベリヤの石油パイプラインプロジェクトが、最近になって日本側が希望する太平洋ルートに決定されたことも、この事業の実施と無関係でないことを指摘させていただきます。

 私は外交問題をライフワークのひとつとして、ずっと取り組んでまいりました。私たちの国の安全と繁栄をもたらすように、そして日本が世界の平和に貢献出来るように願いを込めてこれからも勉強させていただきます。

新 藤 義 孝