第29号 ヨットにかけた想い ─谷さんのこと ─

いよいよ今月23日から秋の国体が始まります。私は現在埼玉県セーリング連盟会長を務めさせていただいておりますが、開催を迎えるにあたり関係者の一人として格別の感慨があります。
思い出すのは、ヨット競技にまさに命がけで取り組んできた谷さんのこと。谷岩夫・元連盟理事長の尽力なくして、県内ヨット競技の発展はあり得ませんでした...

[ヨット競技を我が埼玉で!]

埼玉県での国民体育大会の開催は実に37年ぶりのことであり、秋季大会は10月23日(土)?28日(木)の6日間、ヨットやウインドサーフィン等も含め33種目の競技が行われます。

私は現在、埼玉県セーリング連盟会長を務めさせていただいており、国体セーリング競技会の責任者でもあります。縁あって私の祖父・新藤勝衛が埼玉県ヨット
連盟(当時の名称)の会長職を長く務め、また私の父も大学時代にはヨット部に在籍し連盟のお手伝いをしておりました。そうした中で、私も若い頃から自然と
連盟の仕事に携わってきたのです。

埼玉県には海がなく、前回の埼玉国体(1967年)では、ヨット競技は茨城県の霞ヶ浦に会場を借りて実施されました。しかし、埼玉県の予算を使い他県の会
場を整備しても、その後の県内の後進育成にはつながりません。「ヨット競技を埼玉県で!」それは私たち県内ヨット関係者の悲願だったのです。

私が連盟会長に就任し本格的に取り組むようになって以来準備を重ねてきたのが、今回のさいたま国体のことでした。そして、当時私や連盟を支えて下さったのが、理事長だった谷岩夫さんでした。

[谷さんのこと]

谷さんは愛知県出身。学生・実業団時代を通じ、日本選手権で優勝、東京オリンピック候補選手となるなど、国内ヨット界の第一線で活躍されてきた方です。前
回の埼玉国体開催にあたり、ヨット連盟会長であった私の祖父がチーム強化のため谷さんを連盟理事長として招聘したのが、私どものとお付き合いの始まりでし
た。谷さんは国体終了後も、県内のヨット競技促進に尽力して下さいました。当時、県内にヨット部のある高校は皆無でしたが、市立川口高校や川口県陽高校、
浦和市立高校などの生徒に呼びかけ、休日になると自分の車で茨城や神奈川の海に連れて行き、夏には琵琶湖で合宿をさせ、国体選手を育ててきました。


の谷さんが、埼玉県の悲願である県内ヨット競技開催を何とか実現しようと、着目したのが谷中湖でした。谷中湖とは、埼玉・群馬・栃木・茨城の4県にまたが
り東京ドーム700倍もの広範な面積を持つ渡良瀬遊水地の中につくられた、巨大な人口の洪水調整池です。13年前、谷さんは、連盟会長に就任したばかりの
私を谷中湖まで連れて行き、「会長、県内でこの谷中湖以外に国体をやれる場所はありませんよ。なんとしてもここで国体をやりましょう」と、実に無邪気に熱
く語るのです。

しかし当時は多くの制約があり、国体開催どころか谷中湖にヨットを浮かべるのも困難な状況で、管理する建設省の現地事務所はにべもなく取り合ってくれませ
ん。すると谷さんは涼しい顔で、「ここは会長の政治力にお任せします」と屈託のない笑顔で、大変なことを事も無げに言い放つのでした。

私は当初、いくら広いといっても遊水地でヨットレースができるものか疑問に思っていました。しかし、谷さんの情熱に押され、建設省本省に直接折衝にあたるなど、谷さんとともに奔走したのです。


の谷さんの突然の悲報を受けたのが、忘れもしない平成6年8月13日のこと。谷中湖で国体強化合宿の指導中に、不意に船上で倒れてしまったというのです。
急ぎ私が病院に駆けつけた頃には、もう既に息を引き取っていました。62歳。大好きなヨットのために生涯を捧げた谷さんらしい最後でした。

私たちは谷さんの遺志を継ぎ、いよいよ谷中湖での国体ヨット競技実施に向け、日本ヨット協会や建設省と折衝を続けました。湖の面積や開催時期など現状の
レース規定に合わない点も少なからずありましたが、その調整に駆け回りました。一方で、ヨットの普及のために、谷中湖のある北川辺町役場に働きかけ、地元
のヨットクラブを作っていただいたり、県庁にお願いし北川辺高校にヨット部を創設するなど、この県内開催に向けて準備を進めていったのです。

[国体セーリング競技開催にあたり]

人口の貯水池を使用しての大会開催は、全国でも初めての試みです。海での大会とは異なり、言わば周辺すべてが観覧席でレースを終始間近で観戦できることに
なり、セーリング競技をより身近に感じてもらい、その普及促進に役立つものと大きな期待も寄せられています。

何よりもこの大会の実現には、谷さんと親しい日本ヨット協会や国体レース関係者のご理解とご協力に支えられてきました。埼玉のみならず、谷さんを知る全国のヨット仲間が力を貸してくれたのです。また、県庁や北川辺町役場にも大変お世話になりました。

今大会では、県内で唯一のヨット部を持つ北川辺高校の選手も出場します。これも、谷さんの想いが実を結んだ成果の一つです。

読者の皆さんには、華々しい大会の陰で、その開催実現に向け半生を捧げた人の存在を知っていただけたら、谷さんの志を受けた一人としてこんなに嬉しいことはありません。

新 藤 義 孝