第16号 わが街のDNA3 わが街・歴史探訪〜川口編



13号より始まった「わが街のDNA」シリーズ。2回にわたって、文化のシンボル「リリア」を紹介してきましたが、「自分たちの住む街、川口・鳩ヶ谷の歴
史を知りたい」というご要望を皆さまから多々頂戴しました。そこで今回は、川口の成り立ちや歩みについて、その歴史をひもといて参ります。


る7月12日、川口・蕨・鳩ヶ谷の3市による合併協議会が開かれ、来年5月1日の合併後の新市の名称が、投票によって選定されました。結果は、「武南市」
22票、「川口市」19票となり、「武南市」が合併協議会としての新市名称の結論となりました。実際の合併は、今後3市の議会が各々合併の議決を行わなけ
ればならず、川口市が予定する市民アンケートや、蕨市が行う住民投票等、市民の意思の最終確認を経た上で結論が出ることになると思います。今回は市の名称
が取り沙汰されているこの機会をとらえ、そもそも「川口」の名のいわれと街の歴史についてお話させていただきたいと存じます。

かつてこの地域はほとんど海の中でした。それが、4、5千年前頃より関東ローム層でおおわれた現在の新郷・安行・神根・戸塚といった地域が陸地として姿を
現します。新郷貝塚がその証です。全国的にも有名な安行の植木は、この関東ローム層による良質な赤土の恵みによるものです。また、その後関東平野が形成さ
れ市の南部を流れる荒川から採れる良質な川砂を使い、江戸期より鋳物業が発達し、鍋、釜から軍艦のスクリュー、自動車エンジン等々時代の要求に応えてきま
した。

では、川口という地名の由来はどこからきているのでしょうか?実はもともと川口は「小川口」と呼ばれていたのです。入間川(現在の荒川)の河口に面してい
たことから名付けられました。古利根川に沿った現在の加須市付近に川口という地名があり、そこに比べて船渡し場が小さかったためといわれています。

この「小川口」という名称が初めて歴史に名を表すのは、鎌倉時代の日記文学である『とはずがたり』です。この作者は後深草上皇の寵愛を受けた二条という女性です。1289年12月に小川口に3カ月間滞在したと『とはずがたり』に記されています。

また、室町時代の作といわれ、牛若丸で有名な源義経の数奇な生涯を描いた『義経記』にも、兄・頼朝の挙兵に呼応し、奥州平泉から鎌倉に向かう義経一行が小川口で、その軍勢を整えたという記述がみえるのです。

そして、江戸時代に入り1622年、徳川2代将軍・秀忠が、家康の祀られている日光社への参拝の際、「川口」に改めさせたといわれています。日光東照宮造
営後には、鳩ヶ谷宿は日光御成道の宿駅と定められ、川口はその馬継場となりました。その後、川口宿を形成し、江戸と鳩ヶ谷宿への人馬継立の役割を担って
いったのです。とりわけ、特産品である鋳物製品や植木、薪などを、荒川や芝川を使って船で運び、大都市・江戸への物資供給を通し発展していきました。


がて明治維新を経て川口町となり、昭和8年4月1日の市制施行により川口町、横曽根村、青木村、南平柳村が合併して、人口4万5573人の川口市が産声を
あげました。昨年がちょうど市制施行70周年にあたり、11月10日「川口の日(11と10をつなげると漢字の川口になる)」に「リリア」で盛大な式典が
行われました。

昭和15年には、戦時中の強制合併により鳩ヶ谷町、神根村、新郷村、芝村が合併しましたが、昭和25年に鳩ヶ谷町で住民投票が行われ、町を二分する激論の末、鳩ヶ谷町が分離します。その後、昭和31年に安行村同35年に美園村の一部が編入され、今日に至っているのです。

川口の総面積は、55.75平方キロメートル、東京都の世田谷区とほぼ同じ大きさです。また、現在の人口は約49万人で、全国約3100の市町村のうち、
政令指定都市を除く16番目の人口を誇っています。鋳物や機械といった地場産業によって発展した街の名残りは、川口駅周辺の商業地域からいきなり準工業地
域に変わる用途地域と、マンションや住宅の中に点在する工場にその姿をとどめています。また、区画整理の進んだ芝や前川、地下鉄7号線の開通にあわせ戸塚
や安行といった市北東部で市街地整備が急ピッチで進められ、新しい住宅地が次々と生まれています。

これから先、川口市は単なる東京のベッドタウンとなるか、あるいは政令指定都市となったさいたま市の陰に隠れて埋没してしまうのか。それとも首都圏にあって歴史と伝統を基盤に自立した活力ある都市として発展していくのか、まさに川口は今、大きな分岐点を迎えています。

その大きな鍵を握るのは私たち市民一人ひとりであり、郷土川口への愛着や誇りを持った方々が増えていくことが重要です。「温故知新」(故きを温ねて新しき
を知る)をキーワードに、わが街のDNAを探っていくことが川口の未来につながっていくと、私は確信しているのです。  (続く)

新 藤 義 孝